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////越すに越されぬ田原坂////

1 :南洲:02/06/13 13:54
「雨は降る降る、人馬は濡れる。越すに越されぬ田原坂。」

西南戦争について、心逝くまで語って下さい。

2 :名無し三等兵:02/06/13 13:57
もっとネタ振れ。

3 :名無し三等兵:02/06/13 13:59
8連隊の恥辱の歴史は西南戦争から始まった。

4 :名無し:02/06/13 14:01
どんどん昔になってきてる、いつか鎌倉時代ぐらいのスレ
できそうだ

5 :名無し三等兵:02/06/13 14:02
漏れには横山のマンガで読んだ知識しかないな…

6 :名無し三等兵:02/06/13 14:04
最終的には「倭国大乱を考察する」のスレが立つ(w

7 :名無し三等兵:02/06/13 14:06
どう見ても日本史板向けの話題だな・・・。

8 :名無し:02/06/13 14:07
人類誕生しての初めてつかった武器シリーズとか

9 :名無し三等兵:02/06/13 14:09
つか例によって絡んでくる加藤清正

10 :名無し三等兵:02/06/13 14:10
人造地形萌え

11 :名無し三等兵:02/06/13 14:12
「蒙古防衛戦を考察する」はどうだろう?

12 :名無し:02/06/13 14:12
卑弥呼の秘密

13 :名無し三等兵:02/06/13 14:13
大量の銃弾がとびかったそうな。

14 :名無し三等兵:02/06/13 14:14
>11
それもう佐藤大ちゃんやってるし。

15 :名無し三等兵:02/06/13 14:19
>9、
「さしたることはなけれども、現れ出でたる清正公」
この台詞と共に登場した彼のために熊本城陥落は失敗しました。

16 :名無し:02/06/13 14:21
こんなネタマニアックすぎてついていけない

17 :名無し三等兵:02/06/13 14:21
夏になるとDQN共のカーセクースの名所になる所。
移動コーヒーショップ「TAO」のコーヒーがあって旨い所。
年に数回、久留米の学校から迷彩服の方が団体で勉強しに来る所。

18 :名無し三等兵:02/06/13 14:24
薩摩の抜刀突撃に燃え。

19 :名無し:02/06/13 14:28
ママーこの人たちこわいよー

20 :名無し三等兵:02/06/13 14:29
>>15
齢400、時の旅人やね
マレーにも慰問に現れたそうな

21 :名無し三等兵:02/06/13 14:30
当時の小銃の弾丸をTVで見たのだが、えらくでかかった。
12.7mmぐらいあるんじゃないかというでかさだったよ。


22 :名無し三等兵:02/06/13 14:31
飲尿ー!飲尿ー! と一人駆け

23 :名無し三等兵:02/06/13 17:57
>22
だれもつっこめないよ。(W

24 :名無し三等兵:02/06/13 18:12
あえて突っ込んでみる
陰、陽、陰、陽は流鏑馬だろ
薩摩自顕流ならちぇぇぇぇぇええええいいっ!ちぇすと!ちぇすと!・・・ちぇすとーぉ!だ

25 :名無し三等兵:02/06/13 18:54
警視庁抜刀隊 VS 薩摩士族
萌え

26 :名無し三等兵:02/06/13 19:26
警視庁抜刀隊には戊辰戦争で負けた側の士族が採用されてたとか、
明治政府も考えたよね。

27 :名無し三等兵:02/06/13 19:31
官軍はこの時にスナイドル銃(何故かイギリス生まれなのにシュナイダーとは言わない)
を標準装備した。
かつての旧幕府軍なんて10年くらい前にシャスポー銃という元込め式銃を標準装備していたのに。

28 :名無し三等兵:02/06/13 21:28
↑まさか、ダサダサの先き込め式銃なんですか?

29 :名無し三等兵:02/06/13 21:30
現地人は「たばっざか」と呼ぶ

30 :名無し三等兵:02/06/13 21:31
弾不足の薩軍は、終いにゃ小石を詰めて撃ってたそうな

31 :名無し三等兵:02/06/13 21:32
札幌っ子が狸小路を「たぬっこーじ」というようなもんか?
30代以上に限定されるうえ札幌といっても中央区に限定されるわけだが(苦笑

32 :名無し三等兵:02/06/13 21:33
なんか空中で衝突したまま、二個が一個になった弾丸があるとか聞いたんだけど・・・。

33 :SL:02/06/13 21:36
スナイドルは元込め式ですよ。
シャスポーはなんと紙薬莢だったとか。
薩軍はミニエーがほとんどでした。

34 :名無し三等兵:02/06/13 21:37
「hぉしんのくぁたくぃーーーーーー(戊辰の敵)!!!!!!」

っつって、警視庁バットウ隊の旧会津藩士などが突っ込んだそうです。



35 :SL:02/06/13 21:37
>>32
あります。歴群の写真が掲載されてました。

36 :名無し三等兵:02/06/13 21:37
>32
それ聞いたことある。

>27
維新後、先込め式銃を後装しきに改造してつかってたらしいよ。

37 :名無し三等兵:02/06/13 21:38
>34
無理を承知で動画きぼんぬ







つーか見たいとおもいませんか

38 :名無し三等兵:02/06/13 21:38
>21
当時はまだ火薬が進歩していなくて、初速をあげることができなかったから、
必要な威力を手に入れるには、弾と火薬の重量を増やすしかなかった。

39 :名無し三等兵:02/06/13 21:39
>>32
沢山熊本の博物館に展示してあります。
うちの地元も植木に近かったが明治30年代生まれの爺さん
婆さんが子供の頃はこ銭稼ぎで畑によく西南の役時代の鉄砲
の弾拾いにいっていたとよく聞かされた。 

40 :名無し三等兵:02/06/13 21:39
西郷隆盛は平将門みたいに呪いを残してはいないの?

41 :名無し三等兵:02/06/13 21:41
城山でのせごどんの検死所見で、
首・胴切断、睾丸肥大
とあるらしいが、睾丸に被弾したとゆー説と
琉球赴任時に感染した象皮病とゆー説がある


42 :名無し三等兵:02/06/13 21:43
潔く腹を切りました。

43 :名無し三等兵:02/06/13 21:45
官軍兵の死体はとっとと埋葬して、官軍墓地になってまし
薩軍兵の死体は放置され、野ざらしの略奪され放題だったそうでし
奇特な人が埋めてあげて、薩軍墓地になってまし

44 :名無し三等兵:02/06/13 21:45
「せごどんのウド金」と有名だったそうじゃない。
ウサギの毛皮の玉入れも持っていたと言うじゃない。
島流し時代のマラリヤが原因じゃなかったけ?

45 :名無し三等兵:02/06/13 21:47
>>37
何年か前の年末時代劇「田原坂」里見浩太郎主演(西郷役)にそんな場面があったっす。
動画と言えば動画・・・。

46 :名無し三等兵:02/06/13 21:54
交通の要所にある熊本城は、初期の段階で自ら火を放って篭城戦
旧会津藩士よりなる警視庁抜刀隊「新撰組」が、現在の植木町周辺で陽動襲撃を敢行したそうな
で、もたついてる間に明治政府軍に日奈久に逆上陸されて後方を分断されちまう
比較したくもないが、仁川上陸された金日成みたいだ

47 :名無し三等兵:02/06/13 21:57
 ぢつは西郷隆盛はカンジェルマンの如く最初から勝つ気がなかったんじゃないか
とか書いてみるテスト。


48 :ミリ屋哲 ◆wryStCos :02/06/13 21:58
>>32
田原坂記念公園の資料館(有料)に展示してあるね。

田原坂、今ではすっかり公園になって、観光名所だよ。他のもの(慰霊碑等)
はともかく、「美少年の像」はなぁ。。。もう見てらんない。茶店(?)の幟
には「西郷隆盛」とかに混じって「乃木希典」とかあるし。そこでまた(以下略)

そういや、あの付近にカナダ人(だったかな?)が刃物工房開いてなかったっけ?

49 :SL:02/06/13 21:59
>>47
なんか、漏れもそんな気がしているんですよ。
維新の時のような気力が見られないというか、
必死さがこのころの西郷にはないですね・・・

50 :名無し三等兵:02/06/13 22:01
ちつ、違ったヂ津は西郷隆盛の目的は
不平士族つーか武士の時代の総決算でわなかったのか
薩摩軍=士族(それもシヌホド強い戦闘のプロ)
政府軍=百姓兵(強制的に徴兵されたアマチュア)
で、アマチュアが勝っちゃった

51 :名無し三等兵:02/06/13 22:04
乃木希典って軍旗紛失して錯乱したんだよな
山県有朋の甥っ子とゆうコネだけで指揮官になれた
士官学校も出てないし留学もしてないし
東郷平八郎あたりとは到底比較もできないはずなんだが

52 :SL:02/06/13 22:06
>>50
そうとも言えないんですよ。
官軍も将校のほとんどは士族で、要になった部隊は
士族中心の近衛兵や警視庁の抜刀隊なんです。

53 :名無し三等兵:02/06/13 22:07
>>51
うそばっかり

54 :名無し三等兵 :02/06/13 22:08
>>53
いやほんとだYO!

55 :名無し三等兵:02/06/13 22:09
乃木は山県の甥っ子じゃないし
留学も経験している

56 :名無し三等兵:02/06/13 22:10
薩摩出身の士官も多かった
経済的対立の構図から見ると
要は薩摩に留まって既得権でタダメシ食ってたら
突然禄を止められたから頭に血が上ったのか
実際のところどうなんだろう

57 :名無し三等兵:02/06/13 22:11
お前ら浪曲でも聴け。西南ネタの宝庫だぞ

58 :名無し三等兵:02/06/13 22:12
そいや「餃子の王将」歌ってたアレ、誰だっけ?
氏んだけど、元は浪曲師だったそうな

59 :名無し三等兵:02/06/13 22:13
すごく厨房な質問だが、
単発式とはいえ、ライフル装備の歩兵部隊に
抜刀突撃してたら、命がいくつあってもたりないような。


60 :名無し三等兵:02/06/13 22:13
サクッ
サクッ
サクサクサクッ
先生!
おお!蕎麦屋か

61 :SL:02/06/13 22:14
>>56
不平士族についてはそのとうりです。
士官は山縣や大久保のやり口が我慢ならなかったんでしょう。

62 :名無し三等兵:02/06/13 22:15
>>59
それが単発なのでのう
黒色火薬でズドーン
あとは抜刀!
しかも山道の接近遭遇戦

63 :名無し三等兵:02/06/13 22:16
>>43
>薩軍兵の死体は放置され、野ざらしの略奪され放題だったそうでし

同情の余地無し。

64 :SL:02/06/13 22:17
>>59
そこはそれ。維新を経験していたので、遮蔽物や悪天候を利用して、
たくみに接近して切り込んだのです。
切り込んで占領したら、銃兵を配置して敵の逆襲を防んです。

65 :名無し三等兵:02/06/13 22:17
上位構造:薩摩対長州の構図
下位構造:士族支配からの決別
でどうだろうか

66 :名無し三等兵:02/06/13 22:18
>>63
薩摩藩も会津藩攻略戦でやらかしているわけで、同情の余地無し

67 :SL:02/06/13 22:19
>>65
さらに言えば薩摩でも西郷派と新政府派に分かれていましたね。

68 :名無し三等兵:02/06/13 22:20
西南戦役を経験した将兵に言わせると
のちの日清戦役はママゴト同然だそうな

69 :ミリ屋哲 ◆wryStCos :02/06/13 22:21
当時、まだ日本陸軍は産声を上げたばかりで、いわゆる「農民の兵士」は士族の
嘲笑の的であり、またそうなってもしょうがない場面はしばしばあった。

なにしろ、この戦争の後に兵士たちの近接戦闘能力の低さ(ことに白兵戦)が
取りざたされ、これは日露戦争まで続いた(日露の時は、彼我の体格差から
白兵戦で圧倒されることが危惧された)

この戦争で「農民の軍隊が評価されるようになった」というのは、じつはかなり
懐疑的なんだな。

70 :水雷次郎 ◆1NDJevHY :02/06/13 22:22
横に居る奴が肩から臍まで切り落とされたら
ないて命乞いしそうだ

71 :ミリ屋哲 ◆wryStCos :02/06/13 22:23
>>68
日清の時は、白兵戦で双方が一歩も引かずに、って状況が少なかった
からね。

72 :SL:02/06/13 22:24
船舶輸送、電信、弾薬。
物量を駆使して勝ったはずの新政府は、
薩摩化していきます。

73 :名無し三等兵:02/06/13 22:24
福岡−東京間で交わされた報告・伺い・命令の電信文がいっぱい残っているそうだ
あまりに煩雑で、現地指揮官の裁量権を拡大したらどうか
それがのちに日本を滅ぼした統帥権の原型だという説を出してみるテスト

74 :名無し三等兵:02/06/13 22:26
南北戦争では、軍医に銃剣の傷を診たことがほとんど無かったと言わせたけど
後進国の日本ではまだまだ白兵戦が高い比重を占めてたんだろうね。
錯綜地が多いって理由もあるけど。

75 :ミリ屋哲 ◆wryStCos :02/06/13 22:26
>>73
あれはむしろ、ドイツ流の「前線指揮官による独断専行の推奨」であろ。

76 :名無し三等兵:02/06/13 22:27
>>73
それは統帥権じゃなくて、独断専行では?

77 :田春坂駅:02/06/13 22:27
>51
乃木は松陰先生の家の実質的な跡取り的な意味なやいですか?
玉木の家が萩の乱で逆賊となった以上。

78 :名無し三等兵:02/06/13 22:28
森林太郎(鴎外)が軍医だったのは日露だっけ?
クラウゼヴィッツ翻訳したけど、誰も理解できんかったという話

79 :名無し三等兵:02/06/13 22:29
しまった哲ちゃんとかぶった・・・

80 :名無し三等兵:02/06/13 22:30
日奈久に逆上陸されたせごどん
仁川に逆上陸された首領様
比較すんなやゴルァ!

81 :警視庁抜刀隊:02/06/13 22:34
>>78
サロメもワカラン。夏目金之助によれば森鴎外の訳は本人以外理解不可能だとか。

82 :ミリ屋哲 ◆wryStCos :02/06/13 22:35
しかしまぁ、美少年といい白虎隊といい、学徒出陣といい、この国は
いざというときの「若者の献身」に弱いね。泣いちゃうよ。


83 :名無し三等兵:02/06/13 22:36
田原坂は幽霊が出るので怖いよ

84 :名無し三等兵:02/06/13 22:39


  ま だ 成 仏 で き な い の か ( 泪



85 :名無し三等兵:02/06/13 22:40
ここの話だととんでもない戦闘だったみたいだから、
本当に出そうだな。

86 :名無し三等兵:02/06/13 22:40
>>62
日本本土決戦が行われていれば、ゲップが出るほど「若者の献身」が見れただろうさ

87 :SL:02/06/13 22:41
>>85
肉弾会い撃つ田原坂ですから・・・

88 :名無し三等兵:02/06/13 22:42
>>82-83
だからこそ、桜が美しい

89 :名無し三等兵:02/06/13 22:42
私も夜中何回も行きましたが一度も田原坂で見たこと有りません。
だいたい戦場跡なんて世界中にたくさんあるんだから。田原坂はただの噂です。


90 :名無し三等兵:02/06/13 22:44
学徒動員されるまで大学生が戦場に出ることの無かった日本と大学生が
志願して兵隊になったアメリカ、どっちの若者が献身的かなあ。

91 :ミリ屋哲 ◆wryStCos :02/06/13 22:45
「田原坂」
雨は降る降る じんばは濡れる

越すに越されぬ 田原坂

 

右手に血刀 左手に手綱

馬上ゆたかに 美少年

 

山にしかばね 川に血流る

肥薩の天地 秋さびし



92 :名無し三等兵:02/06/13 22:46
何年か前、田原坂を見に行ったことがあるけど典型的な縦走地形で
道路は溝みたいに両側に堆土があって
こりゃもう伏撃されなきゃ嘘だろって地形だったな
あそこを攻め上るのはきつかったに違いない

93 :名無し三等兵:02/06/13 22:47
>>75-76
おお!さすが軍板
まっとうな答えが速攻で返ってくる
どこぞの特殊法人放送局とは大違いじゃ

94 :名無し三等兵:02/06/13 22:50
政府軍で最も損耗率が高かったのが工兵だったという罠

95 :名無し三等兵:02/06/13 22:51
>94
なぜゆえに?

96 :名無し三等兵:02/06/13 22:53
工兵ってどの戦いでも死傷率高いイメージがあるけどなあ。

97 :名無し三等兵:02/06/13 23:00
>95
工兵戦の認識が未熟だったために満足な掩護もつけられずに最前線に投入されたから
歩兵や砲兵には工兵のために撃ってやる弾はなかったらしい
西南役まで工兵は輜重と並んで陸軍の不可触賤民だったという罠

98 :名無し三等兵:02/06/13 23:27
さらに西郷隆盛は西南戦役の時点でも陸軍大臣だった
大臣の任命権は明治天皇にあったため、一身上の都合で勝手に辞職できなかった
つまり職務放棄というか休職中の身で、純形式的に言えば、政府軍・薩摩郡両方の総司令官であったわけ
勝手に軍を動かしたのは誰だゴルァ!てな感じ
信じられないだろうが本当だ

99 :名無し三等兵:02/06/13 23:31
>>89
漏れだって、出身は鎌倉だからそこら中で戦ってたわけで(w
和田とか三浦とか北条とかの兵隊の霊がそこらじゅうにいる筈なのだが…
幸か不幸か22年くらい暮らした中で一度たりとも見たことがない。

とりあえず抜刀隊萌え。

100 :名無し三等兵:02/06/13 23:44
>>98
 身分は大将のままだったろうけども、それがなんで政府の“軍司令官”とい
う、いわば職務になってしまうのかね?

101 :名無し三等兵:02/06/13 23:46
>>45
>何年か前の年末時代劇「田原坂」里見浩太郎主演(西郷役)

あったねぇ。バブル期の制作だから、戦闘シーンにお金かけていて見応えあった。
政府軍のガトリング砲に、抜刀した薩軍の一団が突っ込んで行き
薙ぎ倒されていく場面が印象的だった。

102 :名無し山砲兵 ◆rWCu99P2 :02/06/13 23:51
それにしても疑問なのは
なぜ九州から強兵が輩出するんだろうか?
北海道・東北・北陸・中国・四国の兵も粘り強いが九州は一段と強い印象受ける。
精神・思想教育でなんか他にない事でも教えてるんですか?




103 :名無し三等兵:02/06/13 23:59
ところで、何で今田原坂なんだ?
坂…さか…サカー
撃つだ氏脳

104 :名無し三等兵:02/06/13 23:59
>>102
九州の兵は攻撃に向くが、防御には向かない。
攻勢で気合いが入っているときはどんどん進むが、状況不利になると撤退も速い。
東北の兵は逆に防御戦に好適。

105 :名無し三等兵:02/06/14 00:05
実際、後の日露で何とか勝てたのは、この戦いの貴重な戦訓が生かされたお陰

などと言ってみるテスト。

106 :名無し三等兵:02/06/14 00:22
>102
戦国に関しては、特にそうともいえない。
明治以降は官軍に立った事で、武を尊ぶ気風が育ったからだろうな。

107 :ミリ屋哲 ◆wryStCos :02/06/14 00:25
>>106

関ヶ原以降、特に薩摩あたりなどは尚武の気風が確立したと思うが。

108 :名無し三等兵:02/06/14 05:34
古代から隼人、熊襲が住む蛮地ですけん…

109 :名無し三等兵:02/06/14 05:56
>>102
つか単なる気のせいだと思う

110 :名無し三等兵:02/06/14 07:08
イメージ作戦

111 :名無し三等兵:02/06/14 07:38
江戸時代の薩摩藩は武よりも商売に熱心だったという罠

112 :児玉源太:02/06/14 08:07
熊本城攻防戦は、航空機発達以前の城攻めの難しさを物語っていますね。

何と言っても、戦国の世の加藤清正の縄張りを薩軍は抜けなかった訳ですから。


113 :名無し三等兵:02/06/14 08:21
>>107

薩摩剣法:大捨流→示現流

己を捨てて初太刀に全てを掛けてこそ、示現神通力を得る。二の太刀、受け太刀は考えない

とか言ってますんで、半端なもんじゃないです。

114 :名無し三等兵:02/06/14 09:39
>>111
奄美から搾取した砂糖の専売や、琉球経由での密貿易
それから、偽金の鋳造と北朝鮮の並のやりたい放題をしてましたね。
借金の踏み倒しなんかもしていましたし。

115 :名無し三等兵:02/06/14 10:53
薩摩人はあまりに剽悍だったため、欧米人は薩摩族なる他民族がいると誤解していたとか

116 :名無し三等兵:02/06/14 10:56
野暮な事かもしれないが隼人って人種的には大和とは違うのかな?

117 :名無し三等兵:02/06/14 10:59
>>116
海流の関係でジャワ系の血が高いそうな

118 :名無し三等兵:02/06/14 11:02
古代の隼人族は文化的には南方系の習俗を強く残していたらしい。
ただ隼人=薩摩人というわけではないからね。

119 :名無し三等兵:02/06/14 12:39
確か島津家の先祖は鎌倉から来た御家人だよね。(頼朝の庶子だっけか)
辺境になる程当時の風習が残ってるとゆーし。

120 :名無し三等兵:02/06/14 18:18
熊本鎮台以降、国内で実際に機能した要塞はありますか?

121 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

122 :名無し三等兵:02/06/14 18:30
>121
スレがケガレルのでやめてね。

123 :27:02/06/14 19:31
何もスナイドル銃を前装銃とは言った覚えはないのに.....

124 :薩摩隼人:02/06/14 20:05
 正直、実際にないのに77万石を称したりしてるんで・・・
徳川に逆らっても安堵されたのはいいが、土木工事や参勤交代で
家計は火の車なんですよ。
 スレ違いすいません



125 :名無し三等兵:02/06/14 20:15
>124
密貿易で稼いでいるだろ!
あとさとうきびの独占専売も

126 :名無し三等兵:02/06/14 20:17
でも借金漬けだったのも事実

127 :名無し三等兵:02/06/14 20:19
薩摩藩はお金持ちって言われてて
武士は食わねどなんとやらで頑張ってたが…

それでも他藩の治水工事を行う男気に萌え

128 :名無し三等兵:02/06/14 20:20
>126
400年債務引き延ばしだったけか?

129 :名無し三等兵:02/06/14 20:27
>127
薩摩義士伝は燃えますねー。
でもおかげで借金弁済のために琉球・奄美諸島住人は塗炭の苦しみ味わったしなー。

130 :名無し三等兵:02/06/14 20:28
生脱ぎ事件じゃなくって生麦事件の軍事的考察
 
 
 
 
 
 
 
            と、言ってみるテスト

131 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

132 :名無し三等兵:02/06/14 20:38
みんな無知だね

133 :名無し三等兵:02/06/14 20:40
脱走兵を見てみぬフリして逃がしてやる辺見十郎太に激萌え。

134 :無名兵士:02/06/14 20:55
母方の郷里のそばですが、薩摩軍の勇敢さは3代たった私にまで
語り草になっています、やっぱり薩摩隼人はすごいって

135 :名無し三等兵:02/06/14 20:56
ウソ〜!

136 :名無し三等兵:02/06/14 20:57
誤爆(しかも鼬害)

137 :名無し三等兵:02/06/14 21:09
明治ととせの秋の末、諸手の戦うち敗れ、討ちつ討たれつやがて散る、
霜の紅葉のくれないの、血潮に染めど省みぬ、薩摩猛夫の雄叫びに、
撃ちしる弾は板屋うつ、あられたばしる如くにて、おもてを向けん方も無き、
木霊に響くときの声、百のいかづちひと時に、落つるが如き有様を、
隆盛うち見てほほぞ笑み・・・・

138 :名無し三等兵:02/06/14 21:14
>>129
奄美の黒糖地獄は有名ですね。
サトウキビ以外の作付けを禁じなおかつそのサトウキビ全てをわずかな食料や日用品と
引き替えに強制的にただ同然で買い上げる。
サトウキビをかじった子供が処罰されるなんて言う悲劇もあったそうですし。

139 :名無し三等兵:02/06/14 21:18
みんな貧乏が悪いんだ…


とか抜かしてみるテスト

140 :名無し三等兵:02/06/14 21:34
薩摩軍は確かに強かったんだろうが、近代的に組織された軍隊には
歯が立たないだよね。兵達は己の自己満足の為、名前のためだけにしか
戦わないからね。

141 :名無し三等兵:02/06/14 21:38
秩父事件の賊徒よりは遥かにマシだったろ、西南軍は。

142 :名無し三等兵:02/06/14 21:39
つーか、戦国時代にはバリバリの火力戦闘を身上としていた薩摩が
関ヶ原以降は白兵抜刀突撃に退化してしまった罠

143 :名無し三等兵:02/06/14 21:57
「朝鮮出兵」一回目は参加者が集まらず、さして活躍なし。
二回目は土地のない連中を土地で釣ったので、参加者は定数の半分程度だったが
死に物狂いで戦った。この点、やる気が皆無だった他藩とはかなり事情が違う。
ちなみに正規の藩士はほとんど参加せず元地主が多かったとのこと。

「西南戦争」戦死者には『普通に土地持ち』が圧倒的に多い。
大地主だったり、最初から雀の涙程度の土地しかない連中は意外に少ない。
明治政府の土地政策で一番ダメージを受ける連中が死に物狂いで戦ったらしい。

144 :SL:02/06/14 22:05
>>140
それ以前に、具体的な作戦にたいして「議を言うな!」といって拒否したりしたらしい。
軍オタがいたら「ハァ?」の連続だったろうね(笑)

145 :名無し三等兵:02/06/14 22:30
>>142
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1016787503/

145 :無名武将@お腹せっぷく :02/06/09 11:25
実際には弓の使用も多い。竜造寺の大半は弓で倒されたし
三万八千の明軍を撃破した戦いも、ほとんどの士について
「銃と弓を放ち騎馬にて距離を詰め、また銃と弓を放ちまた騎馬にて・・・」
というのが、延々と繰り返し書かれている。
関が原でも有名な中馬大蔵が「九州無双の強弓にて」
他の騎馬が使った馬上筒と同じ戦果を上げている。
あとこんな話もある。
www4.synapse.ne.jp/marutake/topics/hannya/sekigahara1.html
四国勢も川でやられたんだよな。

146 :ミリ屋哲 ◆wryStCos :02/06/14 22:46
まぁ実際の所、近代的軍隊(エニ・チェリェあたり以降)は、火力による
「制圧」は可能でも「戦闘能力の破砕」は難しいわけで(中世的烏合の衆と
違って、コンバット・フォーメーションの関係で混乱が比較的生じがたい)
その観点からは「白兵戦重視」はやむを得ない面もある。つーか、それが
近代軍における戦闘様相だったし。

147 :名無し三等兵:02/06/14 23:06
島津に限らず九州勢の火力戦指向は宣教師がビビるほどだったからな
実は織田家よりも火器保有率が高かったという罠

148 :ミリ屋哲 ◆wryStCos :02/06/14 23:08
>>147
硝石ルートは織田が押さえていたんじゃなかったっけ?

149 :名無し三等兵:02/06/14 23:10
でも薩摩兵は男っぷりにこだわるだけですから、戦争しても勝てません。

150 :名無し三等兵:02/06/14 23:11
琉球は薩摩支配から開放されて
明治政府に支配され
今度はソテツ地獄を味わうことになる


151 :名無し三等兵:02/06/14 23:13
その前は清国に支配されてタナ

152 :名無し三等兵:02/06/14 23:14
光瀬龍の「処はいずこ水師営」での
西南戦争の描写好きだな。元会津藩士
がかっこいい・・・・

153 :名無し三等兵:02/06/14 23:16
>>150
貧窮のあまりソテツに毒が有ると知りつつそれを食べざるを得なかったと言うあれですね

154 :名無し三等兵:02/06/14 23:21
明治初期沖縄では徴兵逃れのため銃の引き金引けないよう
人差し指を鎌で切るのが流行したという。

155 :名無し三等兵:02/06/14 23:27
その頃には硝石は既に国産が始まっていたという罠
それに織田が抑えていた硝石輸入ルートはマカオ〜堺の定期航路だけだという罠

156 :名無し三等兵:02/06/14 23:29
あの辺の島で長寿の人が多い本当の理由知ってる?

157 :名無し三等兵:02/06/14 23:31
>>156
黒砂糖が体にイイのさ

158 :名無し三等兵:02/06/14 23:33
そう言えば昔、鹿児島で「黒い恋人たち」って黒砂糖菓子を見たな
ありゃどう考えても北の寒い島の「○い恋人たち」のパクリだな
今でも売ってるんだろうか?

159 :ミリ屋哲 ◆wryStCos :02/06/14 23:35
>>155

ほへぇ〜、その辺は知らなかった。加賀とか山陰方面、盛岡辺りは知っていたけど、
九州でも作ってたんだね。

160 :名無し三等兵:02/06/14 23:38
ただ、硝石は輸入物のほうが質はよかった。
鉛の弾丸も同じ。

161 :ミリ屋哲 ◆wryStCos :02/06/14 23:41
しかしまぁ、戦国で一番物を逝ったのは兵器の質・量よりも兵役制度の方が




などと逝ってみるテスト

162 :名無し三等兵:02/06/14 23:43
特に九州の大名は中国から硝石を大量に発注輸入してるからね。

163 :名無し三等兵:02/06/14 23:44
>>161
そのとうりだよ。
「尾張名古屋は城で持つ」というのは裏を返せば、
尾張兵は弱兵だということ。
信長も大名で一番負けてる(笑)

164 :名無し三等兵:02/06/14 23:45
ほへぇ〜、平戸は結構有名な硝石生産地だったと思ったが。

165 :名無し三等兵:02/06/14 23:49
まあ龍造寺や大友なんぞは自前の攻城砲列を持ってたからな。

166 :ミリ屋哲 ◆wryStCos :02/06/14 23:52
>>163

いや、兵農分離ってことで。

167 :163:02/06/14 23:54
>>166
それも含んでね(^^;

168 :名無し三等兵:02/06/15 00:24
別に尾張は弱兵ではない。
やっぱ軍板だと一般の歴史ビギナーと同じくらいの認識なのかな。
(上の九州といい)

169 :名無し三等兵:02/06/15 00:28
>>168
十分弱いだろ(藁

170 :名無し三等兵:02/06/15 00:31
>>168
実戦の結果をみてみろよ。

171 :名無し三等兵:02/06/15 00:53
「尾張兵が弱いから」負けた例って何があったっけ?

172 :名無し三等兵:02/06/15 00:59
>>168
名古屋の人ですか?

名古屋の人は見栄っぱりなのが多いからなぁ・・・・

173 :名無し三等兵:02/06/15 01:02
>>171
一向宗との戦闘なんかどう?
訓練された正規軍のクセに、
庶民兵に屠られて、弟まで戦死してるYO。

174 :名無し三等兵:02/06/15 01:04
じゃあ長篠で重臣が軒並み殺された甲州兵は庶民兵にやっつけられた尾張兵よりも弱兵ですね。

175 :名無し三等兵:02/06/15 01:04
スレの主題から脱線してる。

>>101
ガトリング砲は実際、西南戦争で使われたのかな?

176 :名無し三等兵:02/06/15 01:05
名古屋人ウザイ

177 :名無し三等兵:02/06/15 01:10
>>173
長島は兵士の資質云々の話じゃないだろ。
庶民兵って言うけど信徒の武士も大勢いたし、
農民兵だってそれまで一度も武器を手にしたことが
なかった訳じゃない。
それにあの一向宗の逆襲は単純な掃討戦だという認識しかなかった
織田軍首脳の手落ちだ。

178 :名無し三等兵:02/06/15 01:10
>>174
だからさ、信長は兵農分離して、足軽に銃をもたせ、
柵を付けて、完璧な防御体制を敷いたわけだろ。
信長は尾張兵が弱兵なのは折込ずみなのさ。

179 :168:02/06/15 01:13
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1017825944/

ここの459以降が見物だったりする。

180 :ミリ屋哲 ◆wryStCos :02/06/15 01:14
今思うに>>4は神・・・

181 :名無し三等兵:02/06/15 01:15
>>178
尾張兵が弱兵だから兵農分離したのですか?
それとこれとは話が別でしょ。
非生産者である足軽を雇えるだけの経済力があったから
そうしたのでは?
何処の大名だって金さえあればわざわざ大事な農民を
兵隊にしたりしないでしょう。

182 :名無し三等兵:02/06/15 01:16
>>177
をひをひ。集団で訓練した兵と、武術の嗜みを一緒にするかね。
軍板の住人じゃないね?
軍隊とはなんだ?

183 :名無し三等兵:02/06/15 01:17
薩摩=日本
尾張=アメリカ

184 :名無し三等兵:02/06/15 01:17
戦国時代の尾張兵はさておいて、

西南の役では、
>>175ガトリング砲は使用されていたそうな

ttp://www.asahi-net.or.jp/~ub2s-yky/heiki.html


185 :名無し三等兵:02/06/15 01:21
>>181
どうも、武士の成り立ちから始めないといけないのか?
武士と農業は一体だぞ。
兵農分離はALLシーズン戦争できるように実施されたものだが、
兵の強い国では実施していない。
兵農分離が良いみたいに言われているが、
金だけとられて、逃げれたらどうする?

186 :名無し三等兵:02/06/15 01:22
>>182
>一度も武器を手にしたことがなかった
を字義通りにとった訳か。
すまん、軍板の住人にはもう少し解りやすく書くべきだったな。
あの時代、従軍経験のない農民を探すほうが難しい。
それに一向一揆勢は組織化の点では実質的には軍隊だ。

187 :名無し三等兵:02/06/15 01:26
>>186
だからさ、組織として訓練したり、実戦したかということだろ。
信長が侵攻するまでは、あそこまで大規模な軍事行動してないだろ。
一向宗門。

188 :名無し三等兵:02/06/15 01:29
>187
加賀で国創っとりましたが何か?

189 :名無し三等兵:02/06/15 01:30
あのぉ〜〜、西南戦争の・・・・・・

190 :ミリ屋哲 ◆wryStCos :02/06/15 01:31
>>181

武士の成立ってのは、そもそも「武装農民」で、主要な頭領てのが
地方に流れてきた源氏だの平氏だのを担いだものだ。

つまり、封建制ってのはそもそもが「力のあるその地方の顔」が、農民たちを
束ねて収穫を税として持っていき、兵士として農民を徴用する変わりに各種
施策(特に土地の安堵)を行うわけだね。

で、織田の兵農分離ってのは、それまでの日本の兵役とは一線を画す(強いていえば、
律令体制下の徴かな?)
それまでは「領民を集めて作った軍」か「金でよそ者を雇う」という考えだった。
織田の軍隊は、金で兵士を雇うというよりは「織田家の家臣を半農半軍から職業軍人
にシフトする」って意味合いがあるんだ。

近代軍制になぞらえると、傭兵と自国の軍隊ぐらいの違いがある。

191 :名無し三等兵:02/06/15 01:31
>>188
そことはまた話が違うだろ(藁
わざとか(藁
加賀で思い出したが、越後兵にも負けてるな尾張兵・・・


192 :名無し三等兵:02/06/15 01:31
もしかして一向一揆の戦闘力を江戸時代の農民一揆と同一に考えてるのでは・・・

193 :名無し三等兵:02/06/15 01:32
>>185
単純にお金がなかっただけでしょう。
兵の資質とは無関係。
ちなみに織田家以外に兵農分離をあのレベルで達成できた国ってありましたっけ?
北条はある程度兵農分離をやってましたが弱兵だったという話は
私は聞いたことがありません。

194 :ミリ屋哲 ◆wryStCos :02/06/15 01:33
>>185

つーわけで、金の持ち逃げって事が危惧されないでもないけど、よそ者を
雇うのと配下を農作業から解放するのとの違いという面から、織田の兵農
分離はそれまでの戦国大名(つーか封建領主)とは別物だよ。

195 :名無し三等兵:02/06/15 01:34
>189
「風雲児たち」を読めばこの程度の遡りは至極当然。

196 :名無し三等兵:02/06/15 01:34
>>192
多分そうなんだろうな。
軍事板ってハイレベルだな。

197 :名無し三等兵:02/06/15 01:35
>>189
イヤイヤ、西南戦争に関連する話ではある。
士族兵=農民兵
徴集兵=足軽兵

198 :名無し三等兵:02/06/15 01:35
>>185
脱走兵問題は何時の時代の何処の国の軍隊でもありましたが何か


199 :名無し三等兵:02/06/15 01:36
尾張兵といえば、秀吉の島津攻めでは前田家が城を落としまくってるな。
日本史・戦国板では頻繁に見る書き込みで、堀秀正曰く「こんなに楽な戦はない」てのがある。

200 :ミリ屋哲 ◆wryStCos :02/06/15 01:36
>>195

ワラタ!でも、あれっていいよな。田沼意次の評価なんか禿道だよ。

201 :名無し三等兵:02/06/15 01:36
あのぉ、すみません・・・・・・・
西南戦争や田原坂の戦いについての話題はスレ違いでしょうか?


202 :ミリ屋哲 ◆wryStCos :02/06/15 01:37
>>201

このスレの神である>>4に聞いて下さい。

203 :名無し三等兵:02/06/15 01:38
まあ長島一向宗を暴徒か何かと決めつけて尾張兵が弱兵だとする
論法はなかなかアクロバティックではあるがちと暴論だな

204 :名無し三等兵:02/06/15 01:38
>>202
はぁ・・・・・・わかりました。

205 :名無し三等兵:02/06/15 01:40
>201
遠慮せずに語れ。語った者勝ち

206 :名無し三等兵:02/06/15 01:40
>200
重商主義者田沼意次・・・しかし日本では体制内改革は根本的に無理かもしれん。
こりゃまた○○維新起こすしか道はないか・・・。(大義名分は何でもいいが)

207 :名無し三等兵:02/06/15 01:42
>>203
暴徒とは言ってないよ。片方は訓練された職業軍人だってことさ。
因みに六角勢にも撃退されてるね。

208 :名無し三等兵:02/06/15 01:43
武田関連のスレ(日本史板・戦国板とも)を見ると
「織田家の兵農分離はなかった」という意見が多いので見ませう。
(179のリンク先にもあるな)

209 :名無し三等兵:02/06/15 01:43
>>207
どこかに一度でも負けたら弱兵なの?

210 :名無し三等兵:02/06/15 01:46
ちなみに織田の鉄砲足軽は訓練と装備が優秀な銃兵と言われていた。
弱兵だけど(藁

211 :名無し三等兵:02/06/15 01:47
>>209
あらゆるところで負けている、が
それが致命傷にならないのが尾張兵の凄いところなのだ。
一回の敗戦が致命傷になることが多い戦国の合戦。
あまたの大名家が滅んだ。
しかし彼等尾張兵はあきらめない!

212 :名無し三等兵:02/06/15 01:49
負ければ弱兵と嘲られ、勝てば作戦のおかげと言われる可哀想な尾張兵たちよ・・・・
俺だけは決して君たちを弱兵とは言わないYO!

213 :名無し三等兵:02/06/15 01:50
>>210
そこだよ!
弱兵だから弱いとはかぎらないのだ!

214 :名無し三等兵:02/06/15 01:51
>>210
違うぞ。装備率はさして高くないし、どこでも決定打の役割はしてない。
長久手では徳川の鉄砲隊に負けてるぐらいで、織田が鉄砲に秀でるというのはイメージだけ。

215 :名無し三等兵:02/06/15 01:51
>>210
それは西南の役のはいえるではないか。

216 :名無し三等兵:02/06/15 01:56
織田の鉄砲足軽は他国の鉄砲足軽よりも高い給料を貰っていた。
このため織田の鉄砲衆に入ることは一種のステイタスになっていた。
弱兵だけど(藁

217 :名無し三等兵:02/06/15 01:58
すごいな。
一般人がレシプロを全部ゼロ戦と呼ぶのと同レベルの
貴重な書き込みだらけだ。
是非戦国板にこのスレを紹介せねば。

218 :名無し三等兵:02/06/15 01:59
つーか、兵力が少なくて尾張兵が勝った戦って、
桶狭間以外あるの?

219 :名無し三等兵:02/06/15 02:01
少ない兵力で戦って勝たないと弱兵なのか。
ではアメリカ軍も(以下略

220 :名無し三等兵:02/06/15 02:02
兵力少ない=弱い

になるのでは?

221 :名無し三等兵:02/06/15 02:02
>>219
当然!!

222 :名無し三等兵:02/06/15 02:04
>>220
それは戦略の話になるので、強弱の話とは違うね。

223 :名無し三等兵:02/06/15 02:08
局地戦なら長久手の戦いの堀隊だな。
秀次隊を破った大須賀隊などの徳川勢を散々に打ち破った後で
家康本隊の登場にはさすがに後退してるけど。

ちなみに↑越後のは、撤退中の部隊が小競り合いしただけだよ。

224 :名無し三等兵:02/06/15 02:12
>>223
でも堀は戦上手で有名では?

225 :名無し三等兵:02/06/15 02:13
>>224
何故そこまでして尾張兵を弱兵にしたいの?

226 :名無し三等兵:02/06/15 02:15
>>219
鋭い!漏的には尾張兵=アメリカ兵のイメージ。
逃げても、また戻ってくる。

227 :名無し三等兵:02/06/15 02:17
織田が弱兵だと言う人の主張に多いのが
「それを補うために鉄砲を・・」だが
織田は鉄砲にやられまくった側であり、
運用も装備率もさしたるものではないと知ってるのかなあ。

228 :名無し三等兵:02/06/15 02:18
>>225
負けが多いから、それだけ。
因みに漏れ地元の伊達兵も弱いよ(藁

229 :名無し三等兵:02/06/15 02:20
>>227
それと、作戦で勝ったとか兵力が多かったとか指揮官が有能だったとかな(藁

230 :名無し三等兵:02/06/15 02:22
>>228
負けた原因は全て尾張兵が弱兵だったからですか?

231 :名無し三等兵:02/06/15 02:23
>>229
そこなんだよ。
軍ヲタ的にはそこが魅力なんだYO。


232 :名無し三等兵:02/06/15 02:25
>>230
そこまではいってないよ(藁
ただ兵力が大きい割には崩れるのが多いなと。

233 :名無し三等兵:02/06/15 02:27
結局、尾張弱兵論者の根拠って曖昧なのね。

234 :名無し三等兵:02/06/15 02:29
>>233
根拠は実戦結果しかないよ。

235 :名無し三等兵:02/06/15 02:30
実戦結果なら勝ち戦も幾らでもある。

236 :名無し三等兵:02/06/15 02:33
おっとすまん。
勝ち戦は全部鉄砲のおかげだったな(藁

237 :名無し三等兵:02/06/15 02:36
>>235
あっ間違えた!
ちょっと意味が違う。
同等又は少ない兵力で敵を破るのが強兵。
もし尾張兵が強兵ならなんで信長は、
自軍の兵から離れて少数の護衛のみで
京に逃れたのだろう?
浅井を打ち破ればよかったのではなかろうか?

238 :名無し三等兵:02/06/15 02:38
>>236
そうです(藁

239 :名無し三等兵:02/06/15 07:01
かちゃいいんでしょ。


240 :西郷隆盛:02/06/15 07:04
おお。一晩でえらいレスが伸びちょるのう。
おいも嬉しいでごわす。

おいの金玉も嬉しくて腫れ上がっておるでごわす(実話)

241 :名無し三等兵:02/06/15 07:34
>>236 
>勝ち戦は全部鉄砲のおかげだったな。

桶狭間は鉄砲か?鉄砲が前に出てきて勝ったという戦いは
どこだ?雑賀衆の戦いか?<W

学生さん?

242 ::02/06/15 07:36
知らない間に色々な話で盛り上がってますね。

>>197
が一つのまとめかな。
やはり士族の戦の仕方は、明治の軍制とは別物ですね。

だれか、当時の山県有朋についても語って下さい。将の器という意味です。

243 :名無し三等兵:02/06/15 07:44
いやいや、
なーんかレベルが低いぞ!

日本史板から人呼んでこようかな。

244 ::02/06/15 07:46
当時の若き乃木希典、児玉源太郎についても何かと教えていただければ・・・。

245 :名無し三等兵:02/06/15 07:46
>>241
君マジで読解力がないね?
義務教育受けた?

246 :名無し三等兵:02/06/15 07:51
>>245

>勝ち戦は全部鉄砲のおかげだったな。

 勝った戦は全部鉄砲のおかげ・・・。鉄砲があるから勝てた。

 だよな・・・。245は日本語教育受けているの?


247 :名無し三等兵:02/06/15 07:55
皮肉をマジに受け取る痛い241・・・・
落ち着け。

248 :名無し三等兵:02/06/15 07:57
>>247 236は皮肉じゃなくて煽りっていうんだよ

249 :名無し三等兵:02/06/15 08:00
どっちにせよマジに受け取った241カコワルイ

250 :名無し三等兵:02/06/15 08:02
国民徴兵と戦国時代の傭兵を一緒に論じている
輩が一番イタイっす

251 :名無し三等兵:02/06/15 08:04
つーか、241は馬鹿の振りして他人を罵りたいだけだろ。
真っ当な議論が出来ないからってそこまでするかね。

252 :名無し三等兵:02/06/15 08:07
>>251 真っ当な議論って西南戦争時の政府軍を騙るのに、
信長の尾張兵を資料として議論するのが真っ当な議論?ワラワラ

253 :名無し三等兵:02/06/15 08:11
>>252
何か嫌なことでもあったの?

254 :名無し三等兵:02/06/15 08:13
お国自慢、貶し合いは

http://academy.2ch.net/chiri/

255 :名無し三等兵:02/06/15 11:03
うむ。尾張関係の話が出てきてから荒れはじめたしね。
ウザイ名古屋人とバカな嫌名古屋野郎はカエレ!

256 :名無し三等兵:02/06/15 11:35
ハイハイ煽り野郎は逝ってねー。

257 :名無し三等兵:02/06/15 12:02
スレ違いも甚だしい。戦国時代の尾張兵はどうでもいい。

馬鹿かお前ら。

258 :名無し三等兵:02/06/15 12:24
では薩英戦争について語ろうか。

259 :名無し三等兵:02/06/15 16:37
だいたい武士が強かったのなら、ペリー来航の時
撃退していました。それができなかったのだから
薩摩の強さ語っても仕方ない

260 :名無し三等兵:02/06/15 16:56
日本最後の刀剣戦闘でいいのか?

261 :名無し三等兵:02/06/15 17:07
>260
それは神風連の乱が後にも先にも唯一の刀剣戦闘。
日本は古来より刀剣戦闘は主力で無かった。

262 : :02/06/15 17:41
>>260
弾薬尽きた帝国陸軍が・・・・

263 :名無し三等兵:02/06/15 18:06
南北朝までは弓が主流でしょ?
足軽が出てきたら薙刀、槍が主流です。


264 :名無し三等兵:02/06/15 18:12
>263
それは違います戦国時代まで弓矢が主力武器です。
実際家康の言葉でもあるように遣り合わせすることなんて珍しかったようです。
無論戦場の形態によって当然多少差異がでてきますが。

265 :263:02/06/15 18:43
そうなの?応仁乱後から足軽が主力が主力になったんじゃないの?

266 :名無し三等兵:02/06/15 19:04
謎とき日本合戦史
鈴木眞哉 著 講談社現代新書

に影響された奴って結構いるようだね。

267 :名無し三等兵:02/06/15 19:10
>>266
でもそいつの考証は結構まともだろ。

268 :名無し三等兵:02/06/15 19:22
ミニエー銃

269 :名無し三等兵:02/06/15 20:44
>266
鈴木眞哉なら「鉄砲と日本人」ちくま文庫
辺りの方がメジャーでは?
あと、267と同じく考証はまともだと思うが。

270 :名無し三等兵:02/06/16 00:26
>269
アレは懐疑的に読もうにも、あまりにもまとも過ぎてプチ信者になるよな。
以前から胡散臭かった司馬の小説がポンコツと化した。

271 :名無し三等兵:02/06/16 00:32
ガトリングガン萌え

272 :降伏は:02/06/16 00:35
> 鈴木眞哉
基本的には、非常にまともだが、
鉄砲が、基本的に、防御の側を圧倒的に有利にする武器だ、
ということを理解していない点が、
弱点。

273 :名無し三等兵:02/06/16 11:42
何時から戦国板になったんだ?

274 :名無し三等兵:02/06/16 12:02
戦国とお国自慢が混じってる
メカフェチやアニヲタは入ってこれない

275 :名無し三等兵:02/06/16 12:04
俺も楠正成を語っちゃおうかな。

276 :名無し三等兵:02/06/16 12:11
よーし、パパ上杉謙信を語っちゃうぞ、なんてもうみてらんない。

277 :名無し三等兵:02/06/16 12:26
>>275
戦国ですらないし・・・。

278 :名無し三等兵:02/06/16 12:30
桐野利秋マンセー

279 :名無し三等兵:02/06/16 12:34
今夜の「利家とまつ」は1920からだぞ
本来「ハポン人のしつぼん」の時刻だ

280 :名無し三等兵:02/06/16 13:15
>>151
遅レスながら( ゚д゚)ハァ?デムパ史観?

数年前、田原坂史料館へ行った際、近所で農作業しておられた方に
道を訊ねたら、裏のみかん山を抜けたら近道だから、どうぞと仰って頂いた
ご好意に甘え、歩かせてもらったが、きつかった・・・
>>17あの移動式コーヒーショップのコーヒーは確かに(゙゚д゚)ウマーでした

281 :名無し三等兵:02/06/16 14:48
日本武尊の熊襲討伐スレはここですか?

282 :名無し三等兵:02/06/16 18:04
>>151
千ハ破城と熊本城の篭城戦を言いたかったのであろうて
これに対し援軍の見込みのない硫黄島などの無駄な篭城戦との比較も

283 :名無し三等兵:02/06/16 18:10
硫黄島=備中高松城

284 :名無し三等兵:02/06/16 18:24
ローマのエジプト攻城戦術
猫を投げ込む

285 :名無し三等兵:02/06/16 19:54
>274
わしはアニオタじゃ。
歴史系の板にもアニオタは多いぞ。

286 :名無し三等兵:02/06/16 19:58
>>282
その間、疎開に成功した人々が居たのもまた事実

287 :名無し三等兵:02/06/16 20:33
ミニエー太郎やアームストロング厨が大暴れしない軍事バンなんかヤダよ−。
英米蘭仏の帝国主義の陰謀論を振りかざすウヨや江戸時代を暗黒時代と言って
はばからないサヨが跳梁跋扈しないなんて軍事バンじゃないやい。
冒険狛下の降臨や信者とアンチが大激突しないなんてなんの為の軍事バンだい。

288 :よ!:02/06/16 20:49
漏れのジイチャン田原坂の近くに住んでんだけど
今でも弾丸イッパイ落ちててね
拾って来ては釣りの重りとして使っていた


289 :名無し三等兵:02/06/16 21:08
>>271 西南戦争にA-10が燃料切れでタイムスリップして大活躍

290 :名無し三等兵:02/06/17 02:33
ここのスレのテーマは何ですか?

291 :名無し三等兵:02/06/17 02:35
>>290
歴史ヲタによるご当地ローカル情報と戦術史のアナロジー
などと言ってみるテスト

292 :名無し三等兵:02/06/17 02:42
>>289
30mmが火を噴く・・・・ぶるるるるるっ!!!
こわー・・・・・

293 :名無し三等兵:02/06/17 02:45
劣化売らん弾のおかげで熊襲人はべトちゃんドクちゃんに

294 :名無し三等兵:02/06/17 02:46
薩摩隼人の挽肉何キロ出るんだろう

295 :名無し三等兵:02/06/17 02:47
A−10はどっち方に付くんだ?
どさくさで空自ファントムもタイム母艦!

296 :名無し三等兵:02/06/17 02:58
熊本城の石垣の間って、カクカク曲がってて
イタリア戦線での一本道のアンブッシュよろしく
薩摩勢が進入してくると守備軍は死角から狙撃してたんだな

297 :名無し三等兵:02/06/17 03:01
薩摩隼人豚は挽肉に
現地熊襲豚には防臭剤

298 :名無し三等兵:02/06/17 03:14
薩摩芋を与えてのんびり育てた黒豚でごわすとよ

299 :名無し三等兵:02/06/17 04:37
おい!コラ!

300 :名無し三等兵:02/06/17 04:43
まあまあマタ―リ・・・・
ほんとに鹿児島の人は オイこら!が普通なの?

301 :名無し三等兵:02/06/17 05:05
う〜む、江戸の庶民は、薩摩出身の巡査が言う
「おいこら!」
に対してスゲー反感持って
「何でぇ?あの薩摩芋は」
と罵倒してたそうな
ホントなの?

302 :名無し三等兵:02/06/17 05:52
大東亜戦争のとき九州人が他府県人を貴様呼ばわりしてよく嫌われていたらしい
きっさーんと呼び捨てにされたかなり不愉快な思いをした人が多かったそうな

303 :名無し三等兵:02/06/17 17:32
日本史板的ネタは必ず脱線するのがルールなのか?

304 :名無し三等兵:02/06/17 17:34
だがそれがいい。

305 :名無し三等兵:02/06/17 21:27
>>301
エドって言うか東京ね。「巫山戯るなイモヤロー」とか平気で言ってたらしい。
まったく、鹿児島までもコシヒカリやヒノヒカリたくさんつくってるっつーの!
少なくとも東京人よりは米つくってるわ!!サツマイモが主食だったのは江戸以前。
そもそもその時代には東北人は米が食えず雑穀ばかり食ってただろうが。人のこといえるのかyo!

鹿児島では「おいこら!」「(゚Д゚)ハァ?」←これ東京人が言われるとショックを受けるかも。
「わっぜ(超、スゲーの意?)!」「けしめ(氏ね)」は普通に使ってるな。特に爺や婆は口が悪い。
繊細な人ならそっこうメンヘル板往きだな。

306 :名無し三等兵:02/06/17 21:48
ダサツマ

307 :名無し三等兵:02/06/17 22:17
お国自慢晒しage

308 :名無し三等兵:02/06/17 22:50
東北弁(とーほぐべん)だと何かおフランス語みたいで響きは良いがサパーリ意味わからん
吸収弁は圧倒的に響きが汚い怒人言語だけど意味がわかる自分がイヤ

309 :名無し三等兵:02/06/17 22:51
吸収便の方が普通にムヅイと思うが、その辺は育ってきた環境なんだろうな。

310 :名無し三等兵:02/06/17 22:51
九州弁なんぞ存在しない罠

311 :名無し三等兵:02/06/17 22:56
前に岩手に出張した時、マジで何言ってるのか全然理解できませんでした。
同じ人間だから何とかなるだろうと甘く考えていた私は初めて言語の壁による
孤独を経験しました。
すぐ慣れましたけど。
関係ありませんが、水戸弁って河内弁よりも酷いですね。
慣れると一種のカタルシスを感じてしまいます。

312 :名無し三等兵:02/06/17 23:07
元世田谷区民の肥後人ですが
墓多弁まではヒアリングのみOKですが
薩摩弁いっちょんわからんとばってんくさ

313 :名無し三等兵:02/06/17 23:12
>311
いや。基本的に東北弁は語尾変化だけだからまだ理解できる。
津軽弁だけは無理だ。(酒が入ると特に)
幕末に各地遊説した志士達は筆談がたより、ってのが良くわかる。

314 :名無し三等兵:02/06/17 23:17
わーわ、なーの・・・

315 :名無し三等兵:02/06/17 23:23
可愛い娘が東北弁で「駄目、勘弁すてくんろ、やだっぺ」
などと身悶えるとかえって萌えて禿しく責めてしまう!
可愛い娘が急襲弁で「でけん、勘弁しんしゃい、好かん」
などと身悶えると萎えてしまう

316 :名無し三等兵:02/06/17 23:26
え〜なんでうちがそげんことせなかんと〜

317 :名無し三等兵:02/06/17 23:27
関係ないけど中州のお風呂屋さんのお嬢様方は東北出身が多い

318 :名無し三等兵:02/06/17 23:30
北海道の者ですが、以前に北九州出身の娘とつきあっててそれ以来あちらの
言葉で話されると萌えます。

319 :名無し三等兵:02/06/17 23:32
そこは敏感だけん触っとでけんとよ
ごぎゃんぬるぬるんなったたい

320 :名無し三等兵:02/06/17 23:34
ちんちん舐められっと気持ちよかでっしょうが
ほーれこぎゃんカチカチに立っとっと

321 :名無し三等兵:02/06/17 23:52
>>318
知り合いの北九っつうか川筋あたりの女の子が、関西弁(京都あたりか)
に近いイントネーションでしゃべっていたなぁ。

しかし、激しく板違い・スレ違いだな。(w

322 :名無し三等兵:02/06/17 23:53
そういえば、西南戦争の時は「銃剣」は使われてなかったんかな。銃も単発だし、
白兵戦では銃剣が必要だとおもうんだけど。

323 :名無し三等兵:02/06/18 00:02
>322 いや、無かったと思うよ。鉄砲隊=農民兵 抜刀隊=元士族で任務を分担
してたのでは。

324 :名無し三等兵:02/06/18 00:26
いや、銃剣は装備されてた。
役に立たなかっただけ。

325 :名無し三等兵:02/06/18 00:27
宮崎弁なんておっとりしてて浴衣きたおねーちゃんが
しゃべっているとほえる。

326 :名無し三等兵:02/06/18 00:33
博物館にあるエンフィールドなんかの後装改造銃だけど着剣ラグあったかな
ただ当時の銃剣ってスパイク式だったような

327 :名無し三等兵:02/06/18 00:39
ちゅらさんのえりいは一風館でエッチして丸聞こえではなかったろうか
それとも外でエッチ派か
まさか病院で

328 :名無し三等兵:02/06/18 00:41
>325
> 浴衣きたおねーちゃんが しゃべっているとほえる。

なんと、おそろしい、、、


329 :名無し三等兵:02/06/18 00:42
西南戦争の時の政府軍の基本戦術は
映画グローリーの北軍との戦い方と
同じような感じだったんでしょうか?

330 :名無し三等兵:02/06/18 00:44
後装銃だからちょっと違う

331 :名無し三等兵:02/06/18 00:46
えりいと文也君の初エッチは凄かったろうと勝手に想像

332 :名無し三等兵:02/06/18 03:08
当方、宮崎市出身。
県南の諸県弁、よぅわからん。

333 :名無し三等兵:02/06/18 03:17
>>328
あい〜ん!
違った
あお〜ん!

334 :名無し三等兵:02/06/18 03:21
次の佐賀弁を日本語訳せよ。
「とーとーとと、とっとっと?」

正解はメール欄


335 :名無し三等兵:02/06/18 03:37
「この席とっとっとですか?」
「んね、とっとっとたい」
「とっとっとですか」
「そげん、とっとっとたい」

336 :245:02/06/18 03:47
かきこ禁止かよ小僧はよう。

337 :名無し三等兵:02/06/18 07:27
>>322
こらこら。
戦役も中盤になると、官兵も銃剣術によって示現流を封じることを学んでいるよ。
薩摩の斬り込み兵一人に対し三人が一組になり、半円形に取り囲んで銃をぶっ放し、
一斉に芋刺しにするというもの。

338 :名無し三等兵:02/06/18 11:17
>>334
それは博多弁じゃなかとね?

339 :名無し三等兵:02/06/18 13:02
「とっとっと」
私の記憶が確かなら、熊本までは通じます

340 :名無し三等兵:02/06/18 13:09
>>337 なるほど!!

341 :名無し三等兵:02/06/18 13:14
>337
> 一斉に芋刺しにするというもの。
、、、薩摩芋、、、、

342 :名無し三等兵:02/06/18 21:10
銃剣って現代戦ではどんなもんかな。あいかわらず自衛隊は訓練で着剣してるけど。

343 :名無し三等兵:02/06/18 21:13
着剣した小銃は威圧感を与えるらしい

344 :ニュ速厨:02/06/18 21:17
この時期って歩兵操典とかってあったんですか?

345 :名無し三等兵:02/06/18 22:22
>343
銃剣については、下のスレ、
<サブマシンガンについて >
ttp://kaba.2ch.net/test/read.cgi/army/1013328124/

の、540から、600あたりまでが参考になる。
イスラエルの銃剣付短機の画像へのリンクもある。

346 :名無し三等兵:02/06/19 01:34
やっぱり市街戦なんかだと敵に接近遭遇とかになって白兵戦になったりしやすいから、
銃剣は必要だな。でもアメリカ軍で銃剣訓練やってるのって海兵隊だけなんだよな。
ナイフ・コンバットも必要だけど、通常は小銃もってるんだから銃剣術やれよって
感じかな。ところでヨーロッパ諸国では銃剣訓練ってやってるんかな?

347 :名無し三等兵:02/06/19 01:39
PKOなんかの治安任務には銃剣必須でしょ
FA−MASなんかも着剣できるし

348 :名無し三等兵:02/06/19 12:11
思いっきりスレ違いだぞ。

349 :名無し三等兵:02/06/19 12:16
だがそれがいい

350 :名無し三等兵:02/06/19 15:18
たしか、新撰組が推奨した示源流に対策はまず初太刀をかわすんだったよね。



351 :名無し三等兵:02/06/19 16:06
一本道の路地に誘い込んで槍で刺すってのも聞いた

352 :名無し三等兵:02/06/19 21:50
いやーよくよく考えてみれば日本の近代戦を探るには、戊辰戦争〜西南戦争が一番
参考になるんだよね。新政府軍>旧幕府軍&西郷薩摩軍が証明されれば近代軍隊の
有効性が証明されるわけだし。意外と良スレだと思ふ。

353 :名無し三等兵:02/06/19 23:14
八代上陸の重要性を認識してない奴が多すぎる。あそこまで典型的な
海上機動の成功例は無いと思うんだが(単に海上機動の可能性を無視
してた薩軍がDQNなだけだが)

354 :名無し三等兵:02/06/19 23:22
熊本城篭城戦の意義は、補給路のど真ん中で戦力を分散し北上勢力を田原坂に押し留めた
いわばバルジ線におけるバストーニュの101空挺だな

戦線後方の日奈久上陸はその補給線を断ち切る決定打なのだ
まさに朝鮮動乱における仁川上陸だ(ガイシュツだが

土佐その他の不平士族が同時蜂起しなかったのも痛い

355 :名無し三等兵:02/06/19 23:40
薩摩の勝てる要素は何もなかったけど内戦仕掛けた
自棄糞の繰り返しが太平洋戦争

そういえば、戊辰−西南戦役を記憶する世代が死に絶えたとき、日露戦役が起こった
日露戦役を記憶する世代が死に絶えたとき、太平洋戦争が起こった
太平洋戦争を記憶する世代が死に絶えたときに、何が起こるんだろうか

356 :名無し三等兵:02/06/19 23:46
>>355
自民党の国会議員でも、若い連中の方が威勢がいいものね。
実際に戦争に行った人の方が、平和指向だったりする。


357 :名無し三等兵:02/06/20 00:06
>戊辰−西南戦役を記憶する世代が死に絶えたとき、日露戦役が起こった

戊辰や西南戦争を充分知っている人達が政府首脳だったよ。


358 :名無し三等兵:02/06/20 00:10
そりゃそうだ
日露戦役は外交上の典型的なクラウセヴィッツ的戦争

359 :名無し三等兵:02/06/20 00:11
>>355
乃木希典に伊地知幸助に山県有朋に伊藤博文にみんな維新志士上がりのような気が


360 :名無し三等兵:02/06/20 00:14
維新上りだからこそ、焼き討ちされても講話に望んだのかも

361 :名無し三等兵:02/06/20 00:19
>>359
明治天皇その人が維新前に即位してるし、児玉源太郎は熊本城に篭城し
てた。黒田清隆、桂太郎、西郷従道、大山巌等も加えてくれ。

362 :名無し三等兵:02/06/20 00:23
戦争と外交の歯車が噛み合っていたのが日露戦争。やっぱり維新志士は外国の脅威を
わかっていたんだろう。今の日本の外交能力では戦争をしても講和の仲介をしてくれる
国は無さそう(アメリカも見てみぬふり、それどころか再進駐軍を編成しそう)

363 :名無し三等兵:02/06/20 00:29
>日露戦役を記憶する世代が死に絶えたとき、太平洋戦争が起こった

三国同盟結ぶ結ばないの議論してた人達(海軍で言えば山本五十六以上
の人達)の殆どが日露戦争経験者です。


364 :名無し三等兵:02/06/20 00:30
戊辰は英仏の援助合戦で、さながら代理戦争もどきの面があったが
西南での明治政府も英国から借金しまくって、破綻同然だったそうな
実際猛烈なインフレが戦役後に起こってるんだが

365 :名無し三等兵:02/06/20 00:32
結局戦訓から学ばない人たちってことだな

366 :名無し三等兵:02/06/20 03:57
戦争を経験した世代の経験訓をはき違え、内乱紛いの闘争ヲタとなったバカ学生どもは
どう評価しましょうか<戦訓

367 :名無し三等兵:02/06/20 04:05
安保世代の闘争ヲタ学生はもう50台なんで、とっくに終わってます
学校が閉鎖状態で勉強してきてないうえ、反文明・反技術に洗脳済みなのが特徴です
そのためかハイテクやコンピュータにもっとも弱い世代で、バシバシリストラの標的なんで、脅威度も無視して構わないでしょう
問題はそいつらの次世代の、現在厨房とか工房とかの連中です
ゆとり教育の成果は確実なようで、一層DQN化が進行中で、もはや英国化は免れないでしょう

368 :名無し三等兵:02/06/20 04:13
我々の頃はまだ詰め込み受験教育が全盛で、大卒が当たり前でした
そのため在日だの帰化だのと接触する機会も皆無ですので、意識することさえありませんでした
現在の厨工生や専門学校生は、競争に負けるか最初から逃げてきた連中のようです
おそらく底辺で在日だの帰化だのと接触・競合するようになっているのでしょう
この先は人種排斥だのネオナチ化だのに走るであろうことは、容易に想像がつきます
国自体が競争に負けつつあるのですから

369 :名無し三等兵:02/06/20 04:16
我々のすぐ上には、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言ってバブルに浮かれてた世代がいます
そいつらのガキがいま厨房になりつつあります

370 :名無し三等兵:02/06/20 04:19
誰かが書いてましたが、貧乏人を追い詰めると犯罪に走る
(中国から)手を引けと 石油止められ 真珠湾
こりゃどうにもなりませんな

371 :名無し三等兵:02/06/20 04:20
まあ同意なんだが現代をもちこむと生臭くなる。
ご遠慮願おう

372 :名無し三等兵:02/06/20 23:43
薩軍は、どっかの外国勢力を引き込むことはできなかったのかな。
ロシアとか・・・・

373 :名無し三等兵:02/06/21 15:04
それは本気で自殺行為だろう

374 :名無し三等兵:02/06/21 22:45
西郷軍は本気で戦争する気はありませんでした
東京までパレードすれば政権が転がり込んでくると信じてました
熊本城もちょっと脅しつければすぐに城門を開くと甘く考えてました


375 :名無し三等兵:02/06/22 01:44
なんか戦役後に西郷が露西亜に逃れたとかいう噂が、庶民の間に広まったとか

376 :名無し三等兵:02/06/22 02:23
>>375
それを大新聞が取り上げた為に起きたのが「大津事件」。

377 :名無し三等兵:02/06/22 03:54
既出だったらスマソ

3年ぐらい前に新聞で読んだんだが、初代大警視(警視総監)の川路利良(と、おもふ)
は「恩人である西郷どんに弓を引いた」と、つい最近まで鹿児島方面では裏切り者扱い
だったそうだが本当だろうか?

川路は日本における近代警察の基礎を築いているのだが。

378 :名無し三等兵:02/06/22 14:08
>377
大久保利通は今でも薩摩では人非人扱いだっけ?

379 :名無し三等兵:02/06/22 14:19
>>378
暗殺されずにもう少し長生きしてれば評価も違ったんだろうけど。

380 :名無し三等兵:02/06/22 14:32
密偵による大西郷暗殺計画は本当でしょ?

それにしても薩摩側の密偵狩も笑っちゃうくらい過酷なものだったそうで。
海老ぞり、石責め、逆さ釣りはあたりまえだったそうで。
猟奇SMだよなあ

381 :名無し三等兵:02/06/22 14:34
>密偵による大西郷暗殺計画は本当でしょ?

はっきりした事は分ってない。


382 :名無し三等兵:02/06/22 15:12
>>378
西郷だって人非人なのにね(w

383 :名無し三等兵:02/06/22 23:37
大久保利通は、鹿児島では今でも本当に嫌われてますね。
川路利良は郷士出身なので、桐野利秋や篠原国幹との間に反目があり、
そこいらを煽ろうとしていたのだが、
桐野、篠原は西郷べったりで、結局西郷を担ぎ出されてしまったということか。

384 :名無し三等兵:02/06/22 23:51
でも大久保も川治も薩摩出身だけど
広い視野をもてたことに奇跡を感じるんだけどね。

385 :名無し三等兵:02/06/23 12:27
桐野利秋だって郷士出身なんだけんどな。

386 :名無し三等兵:02/06/23 14:30
もし暗殺されずに長生きしたら千円札に肖像が乗ったのは大久保かもしれない。

387 :名無し三等兵:02/06/23 18:58
しかし日本も120年くらい前までは同じに「日本人」同士で戦争をしていたんだよな。
今は到底かんがえられんわ。

388 :名無し三等兵:02/06/23 19:31
実際薩摩兵はもう一回戦えて楽しかったんだろうね。



389 :名無し三等兵:02/06/23 21:48
薩摩兵はクリンゴンではない
ジェム・ハダーなのだ
最初から戦うようにプログラムされておる

390 :名無し山砲兵 ◆rWCu99P2 :02/06/23 22:20
西南戦争
動員兵力 政府側6万8000人 死者6279人 負傷者9523人
     西郷側4万8000人その内(薩摩人が2万3000人)
西郷側死傷者2万人 内薩摩人が8000人
戊辰戦争から西南戦争へ 明治維新を考える 小島慶三 中公新書P245
客観的に数字を見ると、西郷軍は兵力では劣っていない事が分かる。
だが兵站が決定的に劣っていた事が致命的だったと言う事か・・
この前の戦争でも日本は補給能力の低さで負けたのに似ているな・・ 
              

391 :名無し三等兵:02/06/23 22:43
この時の新政府軍は、補給や兵站もよく考えていたみたいですね。
開戦を目前にして東京から長崎まで、時の最新兵器「電線」を引いたりもしてますし。
実戦では、薩摩兵に対し一人あたりの戦闘能力で劣る官軍兵は、
ひたすら大量の銃弾を撃ちまくる戦術で対抗したのに。
それがどこで補給軽視(無視?)になったり、
弾がもったいないと銃剣突撃(尺余の銃は武器ならず、てか)になってしまったのか。

392 :名無し三等兵:02/06/23 23:12
>>390
薩摩人以外の方が、損耗率が高いの?

393 :名無し山砲兵 ◆rWCu99P2 :02/06/23 23:33
私見では、所詮日本は農民国家。決められた事をやる事はうまいが
新しい方法を工夫したり、言語能力を高めようとする人が少なかった。
黒船ショックの頃から大正時代まで
まだ外国の進んだ文化・文明の利器を積極的に謙虚に習おう、取り入れようとする
気持ちが強かった気がする。西欧列強に比べ
自分達は劣っていると自覚する人は多かったと思う。日本が変わったのは
やはり日露戦争に下手に勝った事が災いして自画自賛・自慢話・楽観的な性質に
変えた事が大きいと思う。大正時代1924年に陸軍内で歩兵火力VS砲兵火力の主体論争
起きたと、翌年1925年にかけて歩兵の戦法論争も起きたと イッテイ13年式村田歩兵銃の創製P276
書かれてある。
やはり大正時代から昭和初期にかけて陸軍が動脈硬化していったと見る。

394 :名無し山砲兵 ◆rWCu99P2 :02/06/23 23:41
>>392
薩摩人以外の九州勢が1万2000人死傷したと
これを多いと見るか少ないと見るか、どなたか助太刀求む。


395 :名無し三等兵:02/06/24 16:40
>>394
12,000人と言えば鹿児島出発の際の西郷軍の兵力に匹敵する。

396 :名無し三等兵:02/06/24 20:57
>>381
「西郷を視察に来た」を「西郷を刺殺に来た」と聞き間違えたために
戦争が勃発したという俗説は地元でなお根強い。九州山地のむこうは
日本語が通じないと言うことはやはり日本ではなかったのだろう(爆)

397 :名無し三等兵 :02/06/24 21:49
>>396
地元だが,そんな話聞いたことない。
どこで聞いたんだ?
>九州山地のむこうは
などとのたまうからには地元じゃあないね。


398 :名無し三等兵:02/06/24 21:56
電報の
サイゴウヲシサツニキタ
を間違ったとか言う話もあるからな

講談話とかが元ネタじゃないか?

399 :名無し三等兵:02/06/25 04:25
>>384
遅レスだが、二人とも外遊組だったのが大きいのかな。

400 :名無し三等兵:02/06/25 05:43
>>399
川路は大久保の子飼いだから本人の意思は余り関係ないでしょう。うがった見
方をすれば同じ郷士出身の桐野利秋が西郷派だから対抗上大久保についたのか
も。

401 :名無し三等兵:02/06/25 11:20
>399
外遊していれば”帝国主義の活力に溢れる欧米の凄さ”が判るはずだし。
大久保が”近代化”を急ぐわけだ。

402 :最南端 ◆5PKOHakU :02/06/25 13:34
南州翁の銅像は少なくとも3体はあるよね。

大久保どんの銅像は…高見橋の1体だけか。。

>>398殿
微妙に異なりますが,私の周辺で聞いた話では,
「サイゴウヲシサツシル」との電報だったです。

今も大通りに面した石垣に残る弾痕は生々しいですね。。。


403 :J.フーシェ:02/06/25 14:24
視点を変えて西南戦争の原因は島津久光にあり、というのはどう?
「翔ぶが如く」で散々諸説あがってたが、例えば明治4年頃山内容堂と同時期に
久光も病死したとしたら西南戦争は起こらなかった可能性はある。
西郷・大久保対立の根本要因が廃藩置県である以上、久光が「薩摩藩」の温存に
固執していることを木戸に責められた大久保は「鹿児島県」にしなくてはならなかった。
「薩摩藩」の独立性を担保しているのが私学校だったのは歴史の皮肉というべきで
この排除が政府側からみた開戦理由ではないか。
久光がいなければ大山綱良も以外に素直に新政府の統制下に入り、開戦理由は失われたと
考えられる。少なくとも西郷自身は開戦を望まなかったことは明かだから。(自分が
作った政権を自分で壊すマネはしない。まして首班が大久保である以上。)

404 :名無し三等兵:02/06/25 14:31
最大の原因はやはり南州翁が鹿児島に帰ったからだと思う。
久光も相当な原因だとは思うけどね。


405 :名無し三等兵:02/06/25 14:38
個人云々よりも新しく出来た政府ではありがちな武闘派の不満の鬱積が
原因だと思う。

406 :薩摩藩郷士(官軍側)子孫:02/06/25 17:06
 今日の朝日に愛媛で西南戦争時の動員状況をしめす資料が見つかったってでたね。

407 :名無し三等兵:02/06/25 21:29
それは興味深いね。やはり士族中心なのだろうか。

408 :名無し三等兵:02/06/25 21:47
>402
>「サイゴウヲシサツシル」
西郷を視察しる!









あの国ネタは禁句だよ〜

409 :名無し三等兵:02/06/25 22:31
>>408
そうか、久光翁はともかく西郷が帰った理由はあの国だった。

410 :名無し三等兵:02/06/25 22:47
>>391
兵站等に異常なまでに慎重だったのはこの頃の有朋卿の性格による。
のちに無頓着になるのも有朋卿のご乱心(ボケ?)による。



と、言ってみるテスト

411 :名無し三等兵:02/06/26 00:26
征チョン論

412 :名無し三等兵:02/06/26 00:30
>411
あたま悪いカキコ止めてくれない?


413 :名無し三等兵:02/07/02 22:29 ID:HlNwf2Kq
祝 復活

414 :名無し三等兵:02/07/02 23:47 ID:p/imiqv2
ところで戦後も処刑者が多かったらしいな。

415 :名無し三等兵:02/07/03 12:50 ID:I6Xb93wP
>>396は熊本人とにらんだ。

416 :名無し三等兵:02/07/04 02:31 ID:???
政府軍の資金は外国から借りたらしいぞ。
あと、敵軍の死体にたいする侮辱が多発したらしいね。
死体から肝を取って食べたというのも多かったらしい。


417 :名無し三等兵:02/07/09 11:19 ID:5sppMYMH
このスレに失敗の答えがある。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1026060578/

418 :シュガー萌え:02/07/09 11:20 ID:???
11 :日本@名無史さん :02/07/08 16:07
肥前は戊辰では戦死者も少なく、崩れた事はほとんどない。
これは装備の影響が大きいだろう。

薩摩は近代装備の「急造の」政府軍に西南戦争で完敗したうえ、
戊辰では白兵突撃の多用でかなりの死傷者を出した。

つーわけで肥前最強。

419 :シュガー萌え:02/07/09 11:20 ID:???
12 :日本@名無史さん :02/07/08 16:13
肥前も装備を新政府に献上していなければ佐賀の役で敗退しなかっただろうに

17 :日本@名無史さん :02/07/09 03:02
>16
答え
1、肥前藩の武力はその動員能力軍備海軍士気共に日本最強と言える
水準にあり密貿易を含めた実質的経済力は優に100万石を超えていた。
薩摩長州各藩も肥前鍋島を敵にまわすことは危険であった。
2、藩士の学力水準も当時日本一であり肥前藩士の協力なしには
新政府は成り立たなかった
3、但し政治力は劣ると云わざるを得ない

420 :シュガー萌え:02/07/09 11:21 ID:???
20 :日本@名無史さん :02/07/09 04:06
維新の時点で各藩が相互に戦ったら佐賀の圧勝だろうね。

22 :日本@名無史さん :02/07/09 04:23
>>21
1の言うように「もし戦わば」なら、答えは決まってる。
(確かに、その意味では、このスレもう発展性がない)
単独なら鍋島の完全勝ち。
私見では、薩長土連合相手でも勝つだろうと思う。

>>17
>但し政治力は劣ると云わざるを得ない
殿様は、極端に、藩士が政治化するのが嫌いだったからねぇ

421 :名無し三等兵:02/07/09 16:56 ID:???
観測気球間に合わずもここか・・・

422 :竹内:02/07/10 22:37 ID:???
薩摩も会津もクソ。
維新と西南で両者大打撃を受けたので万歳。

でも、おかげで長州の軍制が陸軍の標準になっちまった。

423 :名無し三等兵:02/07/10 22:47 ID:???
竹肉、見直したぜ(゚Д゚)

424 :アニメ板住人:02/07/10 22:57 ID:DAxVVtmv
つーか、本物の竹内にこんな話ができるわけねーだろ。

425 :名無し三等兵:02/07/10 23:32 ID:1foO4Rmf
>>388

戊辰戦争を天下分け目の関ヶ原とすると、西南の役はさしづめ大阪の陣なのか

426 :名無し三等兵:02/07/10 23:55 ID:/nuA9LJs
このころの戦闘は、やはり密集体形で進んでいき、敵味方で順序よく交互に銃撃して、それから
退却するなり白兵戦なりにもっていくという状態だったのでしょうか?
遮蔽物を利用しつつ散兵線を構成するちゅう戦いではなかったのかしらん?

427 :名無し三等兵:02/07/11 22:41 ID:???
山の中での接近遭遇戦だと聞いてる

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