2ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

お前らのジーちゃんの戦争体験

1 :名無し三等兵:02/06/25 19:16
を書いてくれ。
俺のジーちゃんの内の一人は海軍で南方に行ったそうです。そこでは整備兵で
飛行機の燃料入れをしてたそうだ。直接的戦闘は一度も無い、と。ただ死人はいやと言うほど見たらしい。
一度はアメリカの捕虜をの○○大佐と言う人が目隠しにして首を日本刀で切り落としたらしい。
孫のうちで戦争話をまともに聞くのは俺だけなので喜んで俺に話す。
もう一人のジーちゃんは俺が生まれる前に死んだので知らない。ただ海軍の中佐で勲章とか結構ある。

2 :名無し三等兵:02/06/25 19:17
2

3 :名無し三等兵:02/06/25 19:21
大阪大空襲を屋根の上から見ていたそうだ。

4 :一等自営業 ◆O8gZHKO. :02/06/25 19:21
3GET!

5 :3:02/06/25 19:23
>>3
勝った!

6 :3:02/06/25 19:24
>>5
偽物ハケーン

7 :名無し三等兵:02/06/25 19:27
じじいは不潔で嫌だ
衛生教育がまるでなっちょらん
進駐軍に頭からDDTぶっかけられて全面否定されたんだが
死ね死ね洗脳教育しか受けとらんからな
そんなものを教育と称するのもいかがなもんか

8 :一斗自営業:02/06/25 19:29
8Get

9 :名無し三等兵:02/06/25 19:30
>7
おまえがじじいになるまであと何年?

>4
だれか、例のAAを・・・

10 :名無し三等兵:02/06/25 19:36
陸軍の上等兵だったそうです。
日中戦争に参加しトラックの運転手をしていたとの事です。
ちょっと、アクセル加減を間違えるとすぐおかしくなったといっていました。
祖父は、その後病気になり原隊からおいて行かれてしまったそうですが、
その原隊は、南方に派遣されて玉砕しているのです。
運のいい祖父です。(中支にいたのでシベリア送りにもなってない。)
家には、鉄兜と38式の実包があったと父が言っていましたが、鉄兜の方は、
洗面器として使い古され、実包は祖父が捨てたそうです。
祖父が叙勲された勲八瑞宝章と日中戦争従軍章は、祖父が亡くなる前に押入れから見つけ、
死後、私が受け取りました。
大切に保管してあります。

11 :名無し三等兵:02/06/25 19:53
うちのじいさんは満州に行ってたそうです。
射撃が成績が良かったから軽機関銃やらされて大変だったと言ってました。
あれ担いで歩くと肩の皮がずるむけて辛かったと。
その後、上の人間に気に入られたらしく好きな部隊に転属させてやると言われて迷わず戦車を希望したそうです。
戦車だったら重い機関銃担がないで済む、というのがその理由だそうで。

12 :名無し三等兵:02/06/25 20:05
 3…3GET!!
  ∧_∧             ノノノノ  -___
 (;・∀・)            (゚∈゚ )  ─_____ ______ ̄
 (一等自)          丿\ノ⌒\  ____ ___
 | | |          彡/\ /ヽミ __ ___
 (__)_)             ./∨\ノ\  =_
                  .//.\/ヽミ ≡=-
                 ミ丿 -__ ̄___________

 (⌒\ ノノノノ
   \ヽ( ゚∋゚)
    (m   ⌒\
     ノ    / /
     (   ∧ ∧
  ミヘ丿 ∩∀・;)
   (ヽ_ノゝ _ノ


     丿   ,;⌒⌒i.
  ノノノノ⌒ヽ (   .;;;;;)   ______
 (゚∈゚ )  ミ)     ,,:;;;)  |         |
/⌒\/(   ) ヽ| |/ |;,ノ  |  仕事場→ |
( ミ   ∨∨  | /  .,i  |______|
 ノ  /     | | ,,i; ,, . ,;⌒‖
( \/ヽ ,,,丶, | |,,,;.    ;i,   ‖ヽ
 \ ) ) ..   ,,   ´ヽ (,,... ‖丿.,,,
 ///   ,,   ,,  ... ´ヽ  ‖,,, ..,
`ヾ ヽミ ,,  .、 ヽ .. ヽ丶.,.ヽ ‖、,,

13 :名無し三等兵:02/06/25 20:08
中国にいたらしい。詳細は不明。
最後は、「アメリカは次は台湾にくるに違いない」ということで台湾に行ったら、
アメリカは沖縄に来て、そのまま敗戦となったそうな。

じいちゃんに線香上げにきた元上官の方いわく。
「いやー、○○君にはよくけつを蹴り上げられましたよ、ははは。
 でも今にして思えばあれで良かった。
 怖がってじっとしていた者は、どんどんにやられていった。
 でも何故か、自分達みたいにどんどん進んでいった者は生き残った。」

だそうな。

14 :名無し三等兵:02/06/25 20:17
もうこういう系のスレはおなかいっぱい。
おまえら何人爺ちゃんいるんだよw

15 :名無し三等兵:02/06/25 20:19
終戦間際、帝都防衛のためにとりあえずかき集められた兵として参加。
八月一日に東京到着。やることもないので適当に塹壕を掘りつつマタ
ーリ東京見物。
と言っても、ほとんど瓦礫と焼け野原しか無かったそうな。


16 :1:02/06/25 20:23
本当に死と隣りあわせで、自分の代わりに3人は死んだらしい。
本当は自分が電報を上官に届ける役だったのに、たまたま変わりに行った人が
戦闘機銃で殺られた、など。
後、俺が「海軍って毎日のように殴られるとかいった、いじめがあったんやろう?」
と聞いたら、「それをいじめと取ったらそうだろうけど、その当時は少しもそう思ってなかったから
いじめじゃない」といわれた。殴られるのが当たり前で何の恨みも無い、と。


17 :1:02/06/25 20:28
空中戦は、それはそれは壮観だったらしく、人が死ぬと言う意識はほとんど無く
純粋に下で楽しんでたそうだ。「3万ドルの映画」と言ってたらしい。

18 :名無し三等兵:02/06/25 20:40
>>14
は外道。つか文体皆同じ。

19 :一等自営業 ◆O8gZHKO. :02/06/25 20:50
そういやーガキの頃、頭からDDTかけられた覚えが・・・・
頭丸刈りにされますた。

20 ::02/06/25 21:30
体格が規定に満たなかったから、兵隊には行けず
戦前から勤めていた、工場で空襲で工場が無くなるまで
戦闘機のエンジンのキャブレターを作っていたそうだ

21 :名無し三等兵:02/06/25 21:36
良スレage

22 :予備海士長:02/06/25 21:40
レイテ海戦で沈んでしまいました
写真一枚しか見たこと無い、お墓には色々解説見たいのが掘ってあります
もう一人のおじいさんは軍馬に乗っている写真が飾ってあった
終戦間際で南方志願して南方付いたら終戦、一人も殺さなかったそうです

23 :とむ猫:02/06/25 21:41
マレイシヤでねずみ食ったそうです。
その話を聞いて以来、ジイちゃんは私の中で偉人となりました。


24 ::02/06/25 21:53
ちなみに俺の母方の曽祖父は、国鉄に保線で勤めていた関係で
ビルマで工兵として鉄道工事をしていたそうです。

25 :シベリア帰還兵の孫:02/06/25 22:05
私の祖父は、旧日本陸軍兵長だった。祖父は戦前から車屋をやっていたので
徴兵されて満州の自動車部隊に配属された。さまざまな苦労があって生前よく
「軍隊は運隊」と言っていた。
ソ連の満州侵攻後、ソ連兵とは何度も戦闘を交えたらしい。ある時、斥候に出
て、敵の斥候と遭遇し手榴弾でソ連兵を倒して、戦利品として、マンドリン
(ソ連のサブマシンガン)をもって帰ったら感状をもらったそうだ。
そんな祖父にも死守命令が下され、蛸壺を掘って破甲爆雷を抱えて、T34と差し違え
ることになったが、運よく終戦の情報が部隊に入り祖父は助かった。
その後、祖父は仲間と虎屋のようかんが満載されたトラックでひたすら南へに
げたそうだ。ほとんど「兵隊やくざ」の世界だ。しかし、途中でソ連軍に捕ま
る。当然シベリアに送られたが、祖父は自動車の運転が出来たので、厚遇されて
いたらしい。しかし、これでは何時になったら日本に帰れるか分からないので
ある時から運転を拒否すると、「チタ」という場所へ送られ、森林伐採の重労
働をかせられた。仲間は半分以上死んだらしい。そして昭和26年、祖父は真鶴
へ復員船で帰国した。栄養失調で、酷く体がむくんでいたそうだ。
祖父はよく、戦場での経験を私にしてくれたがいつも「また、ソ連と戦争にな
ったら俺はまた戦う」と言っていた。

26 :名無し三等兵:02/06/25 22:13
 ビルマの方で突撃の際後ろから味方に撃たれて即死。
 神が赦しても我等は赦しません。

27 :名無し三等兵:02/06/25 22:30
俺の爺様は、海軍の整備兵として空母「隼鷹」へ乗り込む。
「隼鷹」の本土帰還後、百里の海軍基地へ回され、
そこで終戦。最終階級は兵長。
終戦後は国鉄の整備員やってた。
今も元気に生活してる。

28 :名無し三等兵:02/06/25 22:34
>>27
今のうちに聞ける話は聞いとけ。後で後悔するぞ。

29 :名無し三等兵:02/06/25 23:34

     ∧_∧____ 何が聞きたいの?>>1
    /(*゚−゚) ./\
  /| ̄〇〇 ̄|\/
    |_しぃ__|/

30 :1:02/06/25 23:38
>27
28の言うとおり聞けるうちに聞いといたほうがいいと思う。俺の死んだジーちゃんなんて
話したくてたまらなかったらしい。けど俺の母親とか誰も聞こうとせず寂しい思いをしたんだろうな。
もし今生きてたら、俺がいやと言うくらい聞いてやるのに。どんな戦記本を読むより、実際に経験した人の
話を聞くほうがはるかにためになる。50年後今度は俺が孫に110年前はこうだったんだよ、って言えるしな。

31 :1:02/06/25 23:46
>27
自分のジーちゃんがビルマで死ぬなんて結構辛いよな。俺のジーちゃんももし海軍に
志願しなかったら、福岡なので龍・菊兵団に召集されてビルマで死んだ可能性も高い。
実際、ジーちゃんやバーちゃんの知り合いは多くの人がビルマで死んでいる。たぶんその中には餓死した人も多かったんだろうな・・・。


32 :名無し三等兵:02/06/25 23:54
母方のじーちゃんは彗星63型の搭乗員だった。
勘のいい方ならじーちゃんの任務が何であったか
おわかりいただけるだろう。

33 :名無し三等兵:02/06/25 23:54
ウチの祖父は南方で機関銃撃ってたらしい。
でもなんとか帰ってきたそう。
よく酒を飲む人だったそうで、酒で嫌な戦争の思い出を
忘れたかったんじゃないかなと思う。

34 :1:02/06/25 23:56
普通のパイロットはそうじゃなかったが、ほとんど全員の学徒兵のパイロットは、豆を生で大量に食ってたらしい。
腹を壊して飛ばなくていいように。多くの本では、学徒兵は勇敢に戦ったみたいに書かれているけどな。
けど、俺的にはこっちのほうが人間味が感じられて好感が持てる。機械みたいに死を恐れず、よりもはるかに。


35 : :02/06/25 23:58
日本刀持って、大陸でおお暴れ!











すみません、嘘です。内地勤務です。

36 :名無し三等兵:02/06/26 00:25
この手のスレって今まで2、3個あったよな、軍事板住人はそんなに多かったか?

37 :27:02/06/26 00:43
>1
>28
今度、よく聞いてみます。
確かに爺さんの話って、面白半分に聞いてたし・・・



・・・爺さんの好きな酒でも買って、たまに帰るか

38 :名無し三等軍曹:02/06/26 00:50
母方のじいさんは海軍の整備兵で、房総半島の基地に配属されていた。
プロペラの回転と機銃の弾の出るタイミングを合わせる仕事をしていて、腕はよかったらしい。
けど、食料庫からしょうゆ盗んだりろくな事してなかったそう。

そんなじーさんも腹は切ったが元気です。

39 :名無し三等兵:02/06/26 01:09
小学生だったじいさんは、10キロも歩いて
爆撃された水力発電所を見に行ったそうだ。

40 :名無し三等兵:02/06/26 01:13
じーちゃんじゃないが、うちの親父は沖縄の八重山諸島で
英軍の空襲の中、畑耕してた。当時11才。
その叔父は、小船で石垣島に渡る途中、艦上機に襲われて
目の前で知人が死んだそうな。この人は当時16〜17才。

41 :名無し三等兵:02/06/26 01:22
母方の祖父は、美幌航空隊所属でマレー沖海戦に参加し戦死。
父方の祖父は、第一挺進団所属でパレンバン降下作戦に参加し戦死。

以上真っ赤なウソ。
二人とも百姓長男にて出征すらせず。

42 :名無し三等兵:02/06/26 01:48
俺の祖父は二人とも幼い時に死んじまって話しを聞いたことないが
親父は沖縄で哨戒艇に乗っていたって
昼間は殆ど船に乗ることは無く、もっぱら夜間だけの警戒任務に従事してたと。

オカンは奄美の人で、機雷で死んで打ち上げられた鯨とか食べてたらしい。


43 : :02/06/26 01:49
【ビックリ】TECHSIDEにチョン【やっぱり】
http://corn.2ch.net/test/read.cgi/news/1024572389/

TECHSIDE(テックサイド)は日本一有名な個人運営のニュースサイトです
 HOME http://techside.net/
 BBS http://www.ag.wakwak.com/~spec/yybbs/
 教えて君BBS http://www.ag.wakwak.com/~spec/osiete/
 一言板 http://210.136.179.189/cgi-bin/ch/chabo.cgi

管理人のTECH(テック)さんは、とてもいい人です。みんなでバナーをクリックしてください!

44 :  :02/06/26 04:39
父方の祖父さんは鹿屋航空隊で機関士としてマレー沖海戦に参加、
一式陸攻にて低空スレスレに、
レパルスに雷撃するも、、ハズレ。その後、負傷により(機関砲の暴発により)
鹿児島の鹿屋空軍基地にて地上勤務、終戦まで特攻隊を見送る。
ワシが中1の時亡くなる。忘れ形見に錆びた短剣があり。

45 :名無し三等兵:02/06/26 04:52
もれのじいさんはにほんとうでちょんをじぇのさいどしまくったっていってたYO!

46 :名無し三等兵:02/06/26 06:43
>>45
>ちょんをじぇのさいど
敵味方の区別もついてなかったのに、よく生きてたね
( ´_ゝ`)フーン

47 :名無し三等兵:02/06/26 06:45
ヨタは絶えんよ。

48 :名無し三等兵:02/06/26 06:47
そのうち

ホントに言ってたよ
嘘だと思うなら次の火曜に・・・の喫茶店で
カモ・ファティーグ着てるのオレだから来い。

とか言いよってからして

49 :名無し三等兵:02/06/26 06:52
>>45はリアル厨房か?日韓併合って知ってっか?
それにしても寒すぎるな。(氏

50 :49:02/06/26 06:55
しまった。リア厨なら曾祖父さんじゃないと計算が。
懲罰大隊逝ってきます…

51 :名無し三等兵:02/06/26 06:55
50!!

地主の長男だったんで、回避。

52 :名無し三等兵:02/06/26 06:55
くっ無念

53 :49:02/06/26 06:56
>>51
ニヤソ。

54 :  :02/07/03 01:44 ID:???
漏れの祖父さん、日露戦争で203高地に壮絶な突撃をして死んだ。
俺?俺は57歳だよーーーん。

55 :名無し三等兵:02/07/03 01:55 ID:z6mrxAJS
兵隊にむやみに殴られながら松の根っこ堀。

56 :名無し衛生兵:02/07/03 02:18 ID:DsyxgyPj
うちの祖父(衛生兵)はコレヒドールが云々て言っていた。
伍長だったらしい。兵長って呼んだら激怒するw
祖父の兄は近衛兵だったらしい。


57 :名無し三等兵:02/07/03 02:27 ID:dnp6AUc1
俺の祖父はビルマで山砲隊に所属していた、
現地の人と仲良くなって、その時にビルマで子供が出来たって言ってた。
向こうでずっと暮らすつもりだったらしいけど、
結局イギリスの捕虜になってそのまま日本に帰ってきた。
他にも、B29を打ち落とした話や捕虜時代の話、戦友の話等色々話してくれた、やっぱり今でもあの時代が懐かしいみたい。
あと、>>25の祖父と同じく「アメリカや中国と戦争になったら戦う」って言ってます、「命を捨てて敵兵10人以上道ずれにする」ってw


58 :名無し三等兵:02/07/03 06:38 ID:AiuWCpXS
オヤジだが、戦争中は横須賀海軍工廠で
空母信濃を造っていた。
すぐ沈没したのそのせいか。

59 :名無し三等兵:02/07/03 07:03 ID:qjPrAl4Q
うちのじいさん中国大陸にいっとったらしい
軍人手帳を持って帰ってきたらしい
ほんとはだめらしいけど

60 :名無し三等兵:02/07/03 07:37 ID:eGt9SI0j
父方の祖父は横須賀のT○SHIBAで働いてた

61 :名無し三等兵:02/07/03 07:42 ID:???
俺の母方の祖父さんは家族ごと満州に行っていたらしい。母親は満州で生まれたそうだ。
父方の祖父さんは東南アジアの何処かで戦死したそうだ。

62 :名無し三等兵:02/07/03 08:00 ID:iXpvbdYL
>>58

ワラタ

63 :名無し三等兵:02/07/03 09:08 ID:???
漏れのじいちゃんは、伊号潜水艦でドイツに行きますたが、戦況が
悪化して帰国できなくなったので、SS義勇擲弾兵師団「ヤーパン」
に入隊して、東部戦線で戦死しますた。現地でドイツ人とケコーン
したので、漏れは1/4、ゲルマンの血が流れてます。




言ってみたかっただけ。スマソ、逝ってきます。

64 :名無し三等兵:02/07/03 09:54 ID:???
うちのじいちゃんは俺が3歳の時に死んだけど
ばあちゃんの話では陸軍で大陸に行ってたそうな
で南昌・長沙・桂林を転戦したらしい
S19年に桂林の辺りで手榴弾に目やられたとかで内地送り、
そのまま終戦迎えたんだって

ちなみに母方のじいちゃんは
風船爆弾作ってたっていうが、こっちは眉唾っぽい

65 :名無し三等兵:02/07/03 13:41 ID:???
>>64

母方のじいちゃんって東京周辺の人じゃない?
風船爆弾は秘密兵器だったけど、学生なんかを動員して人海戦術で作ったから、
携わった人は多いよ。ウソではないと思われ。

66 :名無し三等兵:02/07/03 14:02 ID:???
父方の祖父
徴兵され、横須賀で高射砲の装填手をやってたそうです。
夜中の点呼でのけつバットの話をよくしていました。
当時横須賀にいた長門の話もしていました。
甲板掃除の話とか、主砲がいかに太かったかとか。
マッサージが上手くて上官に気に入られて饅頭とかもらってたらしいです。



67 :64:02/07/03 18:42 ID:???
>>65
ところがどっこい、思いっきり山口県人
関東の方に出ていったなんて話も聞かないし
だから相当に眉唾っぽく思えてならない……

68 :名無し三等兵:02/07/03 19:39 ID:4v1eEU8k
俺の爺ちゃんは、ナウル島の沖で病院船で内地に帰還中、潜水艦にボカチン食らったそうです。運良く生き残り、その後は水雷科の教官をしていたそうです。
俺の先生は、開戦時に赤城に乗っていて、真珠湾に行ったそうです。その後ミッドウエーで爆弾を食らって、舵が故障したときに、水に潜って作業をしたそうです。(水中溶接だか溶断が専門だった)
その後、長門に乗ってレイテにも行ったそうです。長門に爆弾が命中したときに、たまたま持ち場を離れていて、九死に一生を得たそうです。俺は2回も死に損なったって、いつも言っていました。

69 :名無し三等兵:02/07/03 19:45 ID:l35yLf/B
学校の先生。奉安殿とか教育勅語とかしていたクチ。
戦前戦中は当たり前で迷いはなかったんだろうが、戦後の
価値観の転回をどう乗り越えたか謎である。

戦中の話はしたがらなかった。戦前の話ならした。
大勢の教え子が戦場に行ったとも聞く。


70 :名無し三等兵:02/07/03 19:56 ID:???
曰く「関東の飛行機工場(立川飛行機?だったかな)で飛行機作ってた」そうな。
殴られ、腐りメシを食わされ、空襲で仲間を失い、挙げ句に敗戦でポイ、と
粒々辛苦を味わった為、朝日新聞(8/15以降版)に真実を見つけてしまった。
まあ、現実に苦労した人は戦争反対を叫ぶ権利は有ると思うけどね・・。

71 :名無し三等兵:02/07/03 20:25 ID:EGkyZNkF
うちのじーちゃん、ものすごい大地主の長男(何でも杉並区と同じ位所有してたそうな。)
で、戦争も親の鶴の一声で行かなくてすんだそーな。

で、終戦日の放送聞いた時・・



「・・・・・・フッ・・・・・・・・・・」




っと鼻で笑ったそうです。(大笑)

72 :俺のチンポは連射不可:02/07/03 20:32 ID:Dws4eZ7l
>>65
俺のじぃちゃん、巣鴨に住んでたけど、学徒動員で
風船爆弾を作ってたって聞いた事ある。もう鬼籍に
入っちゃったけど。

73 :名無し三等兵:02/07/03 20:33 ID:VzBp+HBg
俺のとうちゃんは、俺が小さいときから何かあるたびに、
“とうちゃんは、昔、少年航空兵だったんだ!!”
“クラスでも優秀なものしか少年航空兵になれなかったんだぞぉ〜”
って自慢してました。

もすこし戦争が長引けば、間違い無く特攻隊だったのに!!

74 :名無し三等兵:02/07/03 20:34 ID:+Cx6zYQt
おれのばぁちゃんだけど、東京大空襲の時どっかの山まで登って逃げてたら
燃える東京がとてもキレイだったなんていってた。焼夷弾なんか花火よりすごいとか。

http://jbbs.shitaraba.com/news/446/himajin.html

75 :名無し三等兵:02/07/03 21:57 ID:???
>>72

風船爆弾は、和紙を貼り合わせて上からコンニャク糊を塗って乾かして出来上がり
だから、大掛かりな工作機械はいらない。そのかわり広い作業場所がいるってんで、
劇場とか体育館みたいなところが工場に選ばれた。かなりの部分は東京周辺で作
ったから、東京に昔から住んでいて昭和19年頃に勤労動員されるくらいの年
だった人だと、風船爆弾作らされた割合は多いと思われ。漏れもそういう人から
話を聞いたことがある。関西でも宝塚の劇場なんかで作ってた。

76 :名無し三等兵:02/07/05 00:03 ID:hRDNzsKR
俺のじーさんは去年亡くなったが
明治四十五年生まれ
昭和十四年10月出征〜昭和十八年十月復員 勲八等瑞宝章授与
除隊時の階級は陸軍伍長。 
第五師団所属で支邦へ派遣されたが
ばーちゃんの話しでは主計兵(経理らしいが旧陸軍の組織はよく分からないのでスマソ)
だったらしいが、じーさんが亡くなった後、アルバムを見たら
中国服着た写真がいくつも出てきて、法事の時の親族の話では
スパイ(便衣)やってたらしい。

旧陸軍の主計兵(経理)でそんなことできるんだろうかと不思議に思った。

なお、じーさんが亡くなる一年前に国から勲五等瑞宝章を授与されたよ。


77 :名無し三等兵:02/07/05 00:14 ID:YAJb+Iiw
俺のじぃちゃんインパール作戦に逝ったよ。
この逝ったて字でも間違えではないよ・・・。
でも行軍3日目で無線でよびもどされて助かった。
呼び戻された理由は無線の試験に受かったから帰ってこいって命令だったらしい。
で、一式陸功にのったそうです(無線技師として)

78 :名無し三等兵:02/07/05 01:01 ID:qh7QsF4+
誤解があったらいけないようですので
とりあえず書いときます。
じーさんは支那に対してスパイ(便衣)をやってたらしいのです。
(逆賊ではありませんので)
前の書き込みではどっちの便衣かわからないような書き込みに
なってしまったスマソ。

79 :78:02/07/05 01:03 ID:qh7QsF4+
76です
名前書き込み忘れました。すみません。


80 :名無し三等兵:02/07/05 19:11 ID:HrgNmHFg
友達のじいちゃんは軍医、
で海南島に詰めて終戦まで豚を追う毎日
帰ってきても「いや〜、美味い戦争やった」
……冗談かと思ったが本当らしい

81 :名無し三等兵:02/07/05 19:27 ID:hAYYBjfF
父方の祖父は開戦時既に40歳過ぎてたので徴兵はされず。母方の祖父は徴兵直後に
ガダルカナル島で戦死。
父は大戦末期に学徒兵として土浦で衛生兵の訓練を受け、京都人なのに納豆好きに
なって帰ってきた。戦争があと半年長引いてたら父も戦死してたかもしれず、そう
なってたら俺もこの世にはいないんだなあ……

82 :名無し三等兵:02/07/05 19:29 ID:hAYYBjfF
友達のじいちゃんは満州に渡って仕事をしていたそうだが、字があまりにも
上手いのでスパイと間違えられたそうだ。なんで字が上手いとスパイという
ことになるかはよく分からないらしい。

83 :名無し三等兵:02/07/05 19:30 ID:i1H5gfQS
どこぞの工兵だったそうな(任地は内地のどこかだが詳しく教えてくれなかったらしい)
土木作業を延々やってたらしいが突然の土砂崩れで生き埋めに。

十五人が下敷きになったらしいがじっちゃんだけが助けられて帰ってきたそうな。

そんなじっちゃんは自分が生まれる年に死去。
ばあちゃんは神戸と姫路の空襲が田舎の山奥からもよくみえたとか。
閃光弾がそれはきれいで山の向こうであかあかと光と陰が踊っていたと。

小学校の先生だったんだがそこにも士官が配属されてきて教練やってたらしい。
で、しょっちゅうばあさんの前まで「わざわざ」やってきては自分の部下を殴り飛ばしていたらしい(w

84 :   :02/07/05 23:32 ID:???
>>82
シナ人は習字が上手いからだよ。

85 :名無し三等兵:02/07/05 23:33 ID:???
じーこの戦争はこれからだ

86 :名無し三等兵:02/07/05 23:48 ID:???
俺のじいさんは九竜(だっけか?)に乗ってて、
大和が沈む様をその目で見ていたらしい。

話聞いたのだいぶ前だから船の名前を忘れちまった・・・。
お盆帰ったらまた詳しく聞かせてもらお。

87 :松宮長官:02/07/06 00:34 ID:MtlezVPV
父方→シベリア帰り。でも、当時の話は家族にもしません。
母方→足柄乗組み。靖国行き。五十回忌には足柄行進曲を墓前で歌って
やりました。ただし、俺だけ。


88 :名無し三等兵:02/07/06 01:06 ID:4r8koTOd
大叔母っていうのかな?祖母の姉になる人から聞いた話で、とてもローカルな話題です。
神奈川県の逗子市に披露山という山があります。頂上は公園になっています。
今はどんな風になっているか、しばらく行ってないのでわかりませんが、猿山や展望台
の基礎になっている円形のコンクリート部分が高射砲陣地の跡です。
売店のところが指揮所で、対空機銃があったんだそうです。

終戦間際に艦載機のコルセアが単機で機銃掃射をしにきて、指揮所の対空機銃と一騎
打ちの形になったんだそうです。
ずいぶん前ですが、公園の入り口で、これがそうだよと指差されて、よく見るとそのときの
銃撃の跡が岩肌の窪みとして残っているが見て取れました。

結局、コルセアは撃墜されて、海に墜落したということですが、機銃を撃っていた若い兵
士も相打ちで12.7mm機銃をうけて、即死だったそうです。
死体の破損がひどくて、手足がちぎれ、とてもむごたらしい状態だったと言ってました。

なんで、大叔母は看護婦でしたが、なんで高射砲陣地に居たのかは聞き漏らしましたが、唯一の戦闘

89 :名無し三等兵:02/07/06 01:36 ID:LlnHir2E
軍事板の怪奇現象のひとつに住人数100人前後なのに
この手のスレが何度も何度も建ち
「私の祖父は・・・」の口調で始まる文が
もう明かに300人分くらいあることが数えられる。
怪奇現象と前述したがこれは怪奇は怪奇でも未知に対する
畏怖を表したものでは無く、仕組みは簡単で同じ人物が
何度も何度も思い付いては書いているだけなのであるが・・・
怪奇なのは誰もそれを指摘しないという状況である。
これに対しての明確な理由は判明していないが
恐らく暗黙の了解や通念と言った類のある種の「秩序」なのかもしれない。


90 :名無し三等兵:02/07/06 01:48 ID:NEkAhzxx
うちのじいさん(3年前に死去)は、軍医付の衛生兵だったそうです。
石屋やってて力も強かったのに、背が低いっていう理由だけで衛生兵。
当時、一兵卒は知らなかったジュネーブ条約も軍医殿に教えてもらったそうです。
それで、フィリピンで軍医殿と一緒に投降。
収容所の飯はうまかったそうです。

91 :j:02/07/06 01:57 ID:vbIEKizB
じい様は満州で顎とすねを撃たれたそうなこの前
葬式で火葬の後弾が二つ出てきた
父さんはかなり言ってた
そんなとーさんは満州から逃げる直前に生まれたらしい

92 :88:02/07/06 02:07 ID:4r8koTOd
>>89
漏れはこの板の住民ではなく、とおりすがりに書き込んだだけだよ。
軍板に書くのは初めてだし、最後のほうは修正中に送信しちまった。

あんたの指摘は正しいのかもしれんが、なんでもかんでもつくりごと
と決め付けるのはどーかな。


93 :名無し三等兵:02/07/06 02:24 ID:???
>>88
ところでコルセアって20mm機関砲じゃなかったっけ?

94 :名無し三等兵:02/07/06 02:32 ID:???
うちのじいさんは38式歩兵銃でコルセアを8機落したそうです

95 :名無し三等兵:02/07/06 02:33 ID:Y6dNBHWv
>>93
12.7mmを6丁です。20mmを4丁のは戦後の戦闘爆撃機のタイプです。

96 :F4U:02/07/06 02:35 ID:+zkLcGh1
>93
F4Uは基本的には12.7o×6丁
C型のみ20o×4丁です。

97 : :02/07/06 02:35 ID:pBcjUTAj
http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b24900076

これって買う価値ありますか?
買った人います?
秘蔵映像満載らしいのですがそれは本当なのですか?

98 :名無し三等兵:02/07/06 06:01 ID:/1IbC7GM
じいちゃんは大正2年生まれで、志願で陸軍に入隊(甲府の四十九連隊)、
仙台の教導学校出て、226の後満州に行って、途中で四十九と離れて、終戦時
は南京にいて、レイテに行かなくてすんだそうだよ。実戦は満州で「ロスケ(絶対
ロシアって言わない)の河用砲艦三隻と連隊砲で撃ち合って、一隻は沈めてやった」
なんて言ってた(w非常〜に疑わしい(w
あと、「じいちゃんは中尉だったぞ」って言うが、20年元旦の写真にしっかりと
曹長の階級章付けて写っているの見て、苦(w実際はポツダム准尉だったそうで・・・


99 :名無し三等兵:02/07/06 06:12 ID:???
>>98
ビッグマウス・グランパ萌えw
ポツダム准尉ってどういうのなんですか?教えていただけるとコレ幸い。

100 :検索ぐらいしろよ:02/07/06 07:36 ID:???
>>99
www.h2.dion.ne.jp/~sws6225/dictio/d3hagyou.html
ポツダム進級の項参照

101 :名無し三等兵:02/07/06 17:54 ID:EShzEqFq
>>99
は〜・・・
お前には戦時中の体験聞けるじいちゃんいないんだろうな。
リアル厨房か工房のじいちゃんだと、徴兵検査も受けてないだろうからな。


102 :名無し三等兵:02/07/06 19:47 ID:???
>>97

おめーチョコ戦車スレでも同じこと聞いて、書評スレに逝けって
言われたじゃん。激しくスレ違い。シュピーン者の宣伝じゃないの?


103 :名無し三等兵:02/07/06 20:39 ID:???
俺のおじいさんは大陸へ行ってた、無線関係の仕事をしてたみたいだ(詳しくは
知らない、色々聞く前に癌で死んでしまった・・)
防寒帽、防寒外套着たおじいさんの写真が俺の宝物!歩兵第六連隊所属!
兵長だった・・・


104 :名無し三等兵 :02/07/06 21:33 ID:???
 じいちゃんじゃなくて、漏れの親父だが、戦争中は陸軍幼年学校に
行っていた。戦争が終わって半世紀以上たつのに、いまだに当時の
教官を「教官殿」と呼んで、尊敬している。大陸の激戦を生き抜いて
きた叩き上げの下士官だったらしい。
 今でも年に1回、もう70歳を過ぎた教え子たちが80歳を過ぎた
教官殿を囲む会をやってるよ。
 東京大空襲の焼け跡とか地獄も見ているので、あまり口には出さない
けど、戦争体験のない若い軍ヲタを好ましく思っていないらしい。

 でも、親父が何かというと戦争中の苦労話をしたんで、その影響で
漏れは軍ヲタになっちゃったんですけど。

105 :名無し三等兵:02/07/08 03:04 ID:jH1BNKXS
うちのじいちゃん(ばあちゃんも)から聞いたこと
満州にいた
トラックの運転手をやっていた
仲間の救出のための突撃一歩手前で休戦になった(ノモンハン?)
壊れた橋をトラックで飛び越えた  ←後で、みんなで万歳したらしい
モンゴルの民族衣装を着た写真がある
戦闘機に撃たれたけど、じいちゃんだけ助かった  ←戦闘機のパイロットは笑ってたらしい
上官の命令を無視して違う道に行ったら助かった(正しい道は地雷原だっだ)
途中で憲兵になった
赤狩りに行った
満州の家の隣りは豆腐屋

ばあちゃんは看護婦
ばあちゃんは銃を3発撃ったことある
近所の人と手榴弾で魚をとった


何か嘘っぽいところもあるけど、死んじゃったから確かめ様がない。(ばあちゃんは元気)
もっと聞いとくんだったなぁ〜

106 :名無し三等兵:02/07/08 09:48 ID:zhqiNFgM
俺の親父は昭和5年生まれで予科練で彗星の訓練やっとったと言っ
てたんですが、昭和20年5月でやっと15歳になる親父は、ほん
とにそんなことやっとったと思いますか?
健康だったので選ばれた(クラスの中で2人くらいだったそうな)ら
しいのですが。
親父、もう亡くなっちゃったので聞くに聞けません。


107 :名無し三等兵:02/07/08 10:59 ID:???
ふつーの歩兵だったって。
万里の長城を側面から攻撃中、弾の飛び交う中を城の上をだーっと走って
後ろに回りこんだ敵兵がいて、そいつに後ろから撃たれたんだと。
肩甲骨を後ろから撃ち抜かれてて心臓の上を通過。
そこが今でもへこんでる。で、その戦傷で後方送り。
ガキん頃風呂場で背中あらってあげてるとき
よくそのへこんだとこにタオルつっこんでグリグリしてたなぁ。


108 :106:02/07/08 11:01 ID:zhqiNFgM
いや・・・クラス内じゃなくて学校内で2人だったかも。

109 :名無し三等兵:02/07/08 11:12 ID:KmOCAlm5
 俺の爺様は戦時中、駆逐艦(艦名不明)に勤務していたら、南太平洋で腸を壊したとかで下船後送された直後に、船はあえなく撃沈されたそうな。
 ちなみに親父は当時消防で、関西にてコルセアの機銃掃射に追われ、級友の一人を挽肉にされたと言う。。。
 まことに、今の俺がいるのも、紙一重の運だったわけですな。

110 :名無し三等兵:02/07/09 02:19 ID:c2qlhydx
戦車の整備兵だったという話を親から聞いたことがある。
満州だったのかなぁ?
(東京在住、おそらく第一連隊)

111 :名無し三等兵:02/07/09 03:04 ID:z7lEpT19
ウチのじーさん一式ライターのパイロットだったらしーい
本人言わくキリモミ飛行も可能ならしいが多分ボケている

112 :名無し三等兵:02/07/09 03:43 ID:w2KeF+RL
うちのじいさまは陸軍少尉で満州→今なにかと話題の朝鮮半島と勤務してた
なんか小隊長やってたってさ
軍人にしては背が低いので、バカにされないために最前線で指揮を
とってたらしい‥そのせいか、防衛戦の途中に中国兵に脇腹を撃たれて
負傷→入院→帰還そのまま内地で終戦をむかえ‥まあ運がよいのか
悪いのかわからんと言ってました

あと、当時から韓国人は信用できなかったみたい‥現に負傷したときに
きた衛生兵が韓国人で担架で搬送中に軍刀をとられたとご立腹です

チョン軍刀かえせ!

113 :名無し三等兵:02/07/09 05:19 ID:YyWAvcnV
父方祖父→憲兵隊だったらしい。皇居で撮った写真がある。

母方祖父→軍馬をひいて輜重兵だったらしい。ビルマに行ってたそうな。終戦は内地だった。
       じいちゃんが庭木道具を入れてる箱は薬莢入れだ!



114 :名無し三等兵:02/07/12 04:14 ID:nMNaqavC
父方…中国で陸軍の主計中尉。
   戦闘には一回も出ていないが、ゲリラ等が出る危険な道を
   トラックで移動することもあったらしい。
   持っていた軍刀と拳銃は、終戦時に没収(軍服は今でも残っている)。
   日本には上陸用舟艇で引き上げてきたらしい。
母方…兵隊にとられるも体が弱いので、すぐに帰された。
   持ち帰った鉄兜は犬のえさを入れる容器として使っていたが、
   叔父さんが友達と何かとそれを交換しちゃって残ってない。
その嫁の祖母さん…空襲の後は地面が熱くて歩けなかった、電柱に人間の
   体の一部が引っかかっていた、肉の焼けるにおいがした、そうだ。
   敗戦時に真っ先に思ったことは「これで明日から空襲が無くなる」
ついでに友達の祖父さん…瑞鶴に乗っていて、沈められボートで命からがら脱出。

115 :名無し三等兵:02/07/12 08:16 ID:CcFBoVhz
母方のGちゃん、生前は近衛兵だったのが自慢だった。
その息子、つまり叔父は、近衛兵の息子のためか外地には送られず、
各務原の飛行場で三式戦のテストパイロットをしてたそうな、
テストパイロットといってもつまりは完成した機体の最終チェックだ。
ほとんんどがDNQの機体だったらしい。

116 :名無し三等兵:02/07/12 08:46 ID:???
>115
> つまり叔父は、近衛兵の息子のためか外地には送られず、
それはない。

> テストパイロットをしてたそうな
優秀なパイロットだった、ということでは?

117 :名無し三等兵:02/07/12 21:30 ID:???
みんなの家にはじーちゃんのアルバムある?
うちには「聖戦の思ひで」ってのがあるんだが。
当時久留米師団現役兵で歩兵(怖っ
中国戦線で小隊単位で撮った写真が多かった。
初めて見た時はかなり興奮したなあ。

ちなみに2回目の召集で戦死してます。


118 :名無し三等兵:02/07/12 23:36 ID:HEhzdGCS
おじいさんは看護兵(と申していますが衛生兵?)
詳細はわからないけど根性はすごい。
私が怪我しても、病院につれてってもらえませんでした。

老人ホーム利用者さん
その1 伍長どの。中国大陸で橋を爆破したり穴を掘ったりしたらしい。
     アルバムを見せて頂いたが悲惨の極み。中国兵の首切り写真…
その2 一般兵(下の兵隊さんです)。満州やら、中国上海から下っていったそう。
     当時の事は語りたがらず。

この辺の人たちは中国方面への出征が多かったようです。

119 :キムチズム ◆s7Wd5K5U :02/07/13 00:04 ID:???
祖母は既に亡くなっていて、あくまでも祖母の話ですが…。
わしの祖父は陸軍航空隊の整備士で、階級は伍長だったらしいです。
シンガポールのほうに居たらしく敗戦後捕虜になって
1・2年経って日本へ帰ってきたそうです。
捕虜とは言え、食事は結構いいものをくれたらしいです。

ちなみに祖母は過去の事あまり語りませんが・・・・
なんだかソ連を非常に嫌ってたり千島列島の話よく出したりと・・・・。

120 :名無し三等兵:02/07/13 00:37 ID:XEZGA2Tv
うちのじいさん、2.26事件の時、反乱軍だったらしい・・・
夜中に上官に「これから特別訓練を行う!!」ってたたき起こされて、
「ダッダッダッ」(←じいさんの口癖)と行進して都心で配置についたのだと。
しばらくしたら通りの向こう側に別の隊が来て「お前達の父と母は・・(以下略)」
それでも市街戦の訓練だと思ってずっと対峙してたらしい。
その時の上官は自決したってさ。

「下っ端は上官命令が全てだから、世間がどうなってるかなんてわからん」と
よく言ってたよ。
それが軍隊なんだなぁ・・・・・・・と怖くなった。
ちなみに存命中。長生きして下さい。

121 :真厨房:02/07/13 00:41 ID:???
手負いの仲間に
「足手まといになるから殺してくれ」って
言われたって話はガイシュツ?

122 :名無し三等兵:02/07/13 00:49 ID:XEZGA2Tv
じいさんじゃなくてお袋の話。
S20当時は一家で渋谷在住だったのだが、疎開で埼玉の与野へ。
東京大空襲の夜、2階から見た南の空(東京方面)が
夕日のように真っ赤だったのだそうだ。
当時5歳のお袋は理由がわからずに「きれいだな〜」って見ていたのだが、
その当時、病気で軍を除隊していたじいさん(母の父)が
「あれは、東京が燃えているんだ」って呟いたのを
今でもはっきり覚えているとな。
想像するだけで怖い・・・・

ばあさんは戦争の話がキライ。「現代は食べ物がおいしいねぇ」と日々感慨深げだ。

123 :スマトラ:02/07/13 01:37 ID:SHoMUuxq
に行ってた。そこで敵に至近距離から背中、膝を撃たれ野戦病院行き。
そこで撮った仲間との写真は俺に激似だと。
戦艦大和が迎えに来て帰る予定だったが大和撃沈→しばらく野戦病院でバカンス。
おととし、膝のコブを切除したら弾の破片が出てきました土佐。以上


124 ::02/07/13 02:50 ID:5ouTbDsE
731部隊…

125 :名無し三等兵:02/07/13 03:07 ID:???
士官学校にいってて実戦経験無いらしいんですけど
戦争末期でもちゃんと教育してたんですか?

126 :匿名:02/07/13 03:18 ID:4SWZ5SRO
私の祖父はドイツ人だった。彼は戦前、エジプトの遺跡調査隊で、そこでユダヤ人の女性と出逢った。彼女も調査隊で日々を共に過ごす中で恋愛感情が生まれたそうだ(この時既に祖母は病死していた)
やがて戦争が始り祖父と彼女はドイツに帰国した。ユダヤ人の彼女は収容所に、そして祖父はSDに配属された。
ある日エジプトにいる親ナチのスパイから情報が入った。
「エジプトでローズベルトとチャーチルが極秘会談を行う」と。
ヒムラ―は全力を挙げ情報収集に乗り出した。勿論全ては極秘の内に。
会談の場はメナハウスホテル。そして正式な日時も判明した。
祖父の推測だが、現地スパイを利用してたとの事。
そしてある日、祖父はヒムラ―とある倉庫に出かけたそうだ。


127 :匿名:02/07/13 03:30 ID:v2dl6YaJ
そこには米軍の輸送機があった。前面が真っ黒に塗られ、全てのマークは消されていたらしい。
そしてそこにはユダヤ人の彼女と数名の兵士がいた。
そしてヒムラーから言い渡された事、それはエジプトに潜入しローズベルトの暗殺。
米軍の軍服と偽造した身分証明、米軍の拳銃が渡された。
彼女は行かせたくないと反対したら、コノ作戦に従事しなければ彼女は処刑の運命だという。
祖父は彼女を守る為に作戦に参加する事にした。
祖父と彼女も含め勿論英語は話せた。<中略>そしてある嵐の晩いよいよ出撃の時が来た。
全ては極秘だったせいか飛行中は幾度も自軍の砲撃を受けたらしい。
無事エジプトに着いたが、途中で別行動してた他の仲間は身元がバレテ連行された。


128 :名無し三等兵:02/07/13 04:36 ID:???
うちの曾じいちゃん、陸軍のヒコーキ乗りだったそうな。
結構最初からヒコーキに関わっていたらしく、実家の方には複葉機の写真もある。
で、百式司偵とか言うヒコーキのテストパイロットとかやってたらしい。
戦後、ヒコーキの会社をやろうと仲間集め&お金とか集めてたんだけど、
フィリピン沖で撃墜されて戦死した。

そん時の階級が中佐で、死んだから特進して大佐。
漏れリアル厨房時代、死んだら二階級特進だと思ってたからちょと驚いた。

38 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.02.02 2014/06/23 Mango Mangüé ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)